競争力をつけよ

(2002/1/1 掲載)



  21世紀の最初の年は、まさに波乱の幕開けといった感じです。世界では、ニューヨークの国際貿易センタービルへの航空機の突入という、想像を超えた形でテロの時代を彷彿させました。あの時、「庵主の日記」で取り上げようと思ったのですが、上手く表現する言葉が見つからない程でした。“きな臭さ”は、イスラエル周辺やアフガニスタンだけでなく、インドにも広がろうとしていますし、アフリカでも数箇所、煙の立っている所があります。まさに『文明の衝突』(サミュエル・ハンチントン著、集英社)が、あちこちで起き始めているのです。

 日本でも、小泉内閣が誕生したことは、ある意味では驚きである。党の国会議員の支持ではなくて、国民の支持を取り付けた首相が誕生したわけです。私の記憶では、おそらく初めてではないだろうか。その結果、今までの内閣ではとても実演しないようなことも、いくつか実現し始めています。
 しかしながら、経済の環境は最悪の状態で、如何に小泉内閣でも、これは如何ともしがたいものと思われる。その上、「構造改革なくして財政の改革なし」と言っている以上、経済の方は、ある程度は流れに任せるものと思われ、そうなると、私たちは自己防衛するしかない。

待ったなしの企業改革

 今日、世界的な競争の中で、日本の企業のあり方が問われている。日本という国の経済運営のあり方が問われている。「経済大国」と成った日本は、本来であれば、世界の経済を支える役割を担うことを求められている
 だが、日本自身は、戦後の経済の建て直しの中で「自分だけ」のことしか考えなくて良い習慣を身に付けてしまった。嘗て世界は、日本の再建を支援してくれた。アメリカの市場も、ガット(現在WTO)も、まさに日本が再生するための後ろ盾となった。だが、21世紀、日本が求められている役割は変わっている。嘗ての日本の立場に居るのは、中国であり、アジアの国々や東欧諸国である。これまでの経済発展を支援された立場から、支援する立場に回ることをが求められているのである。

 グローバル化した経済構造が、日本がその立場を変化させることを促しているにも関わらず、何度も何度も、変化を先送りしてきた。バブルがはじけた90年代の初めには、少なくとも日本政府はこのことに気づいた。これまでの不況と、その背景や仕組みが違うことに気づいた。それが何を意味しているかも気づいた。

 日本におけるそれまでの不況は、いわゆる「循環型」であったため、しばらく経済活動を緩めて、在庫処理を進めれば回復した。その間。財政の出動でカバーすることで、うまく対応できた。そうして、経済活動の規模を、必要以上に膨らませてしまった。

 無制限な経済の拡大が机上の空論であることは、ちょっと考えれば直ぐに分かるにも関わらず、日本として適切な規模を越えた「繁栄」を追い求めた。歴史が繰り返したように、日本もまた永遠の繁栄があるかのように錯覚した。GDPの落とし穴にはまったのである。一人の人間の経済活動には限度がある。生産性を上げたとしても、一方でリタイアする人もいるのだから、国全体としての経済の拡大は、ある程度のところで殆ど停滞する。にもかかわらず、毎年数%の規模拡大を前提とした経済運営をしてきたことが、破綻への道を下ることになったのである。ITを使いこなすこともできず、人口が増えるような政策も採っていないのに、生産性が数%も上がる道理はない。

 その国によって、ある規模以上の経済の拡大は、虚構である。虚構を維持するには、国の財政に依存するしかない。その結果、年間の国家予算の「30兆円」は虚構の部分である。小泉首相はそのことに気づいていた。経済の「緊急事態」を前にして、その「虚構」は、またもや将来を先取りする形で、「実在」成らしめた。さすがに、首相の立場で「虚構」部分だとは言えない。

 バブルがはじけたとき、私は、その時点での日本の経済活動は、75%の人でカバーし、残りの25%の人は、新しい産業を生み出すことに向かわないと、この国は衰退すると言い続けてきた。そのような事(構造改革)が進めやすいように、早い段階で法律や制度の障害を取り除くべきだった。そのような「変革」が求められいた。だが、国としては何もしなかった。

 「変革」は既得権者との間で軋轢を生む。悲しいことにその軋轢の前に、政治は立ち止まってしまった。現在の与党の政治家達は、この「既得権者」によって選ばれた人たちであって、国民によって選ばれた人たちではなかった。そのことが、「変革」を10年間先延ばしにした。小泉首相が「構造改革」という言葉を使って、変革を進めようとしているが、同じ与党の政治家達の多くは、明らかな「抵抗勢力」として行動している。既得権者によって選ばれた人たちと、国民によって選ばれた人との「軋轢」である。

 戦後50年、焼け跡から這い出した日本は、世界の称賛の的となった。その象徴が「G7」の一員に入ったことである。だが、この繁栄の間に、変化を厭う習慣が身に付いてしまったかも知れない。企業も個人も、誰もが「現状維持」を望むようになった。国の制度も、国民の「現状維持」を支援することを前提として進めてきた。住宅金融公庫の活動が、その最前線の一つである。

 既に、その役割を終えたはずにもかかわらず存続し続けたことで、住宅金融公庫は、市場の変化を反映しない貸し出し形態を続けてきた。それはまさに「今の状態が、この先35年続きますよ」と言い続けて居るのと同じなのである。当然、他の市中銀行も、それに歩調を合わせることになり、経済合理性を無視した貸し出しが続けられた。金融公庫の予算が余るという事態になっても、まだ変えようとしなかった。これは、国民に対して「変革」の必要性を自覚させるのを大きく遅らせたと思っている。

 だが、もはや待ったなしの所まで追い詰められている。世界経済、特にアジア経済の牽引役を求められていたのもかかわらず、現状は、アジア経済の足枷になりかねない状態なのである。日本が、自国の都合で「円安」に誘導するというのであれば、アジアは対抗上、製品の品質を上げ、「円」に対する競争力をつける方向に向かうだろう。そうしなければ、いつまで経っても、アジアの国々は日本経済の状態に振り回されることになる。その結果は、通貨の序列というか機軸が変わる方向へと向かいかねない。円安になっても困らないようにするには、それしかないのである。中国は、間違いなくそれを狙っている。「円対元」ではなく「元対円」のチャンスを狙っている。今の日本と中国の状態からは、それは不可能な事ではない。いや、遠い先のことでもないかも知れない。

 変化の要請はそこまで来ているもかかわらず、日本はまだ「変革」を躊躇している。だが、今日では経済に国境はない。企業は、嫌でもグローバル化の流れの中にいる。一部の輸出を中心とした企業は、とっくにその流れの中にいて対抗している。中には翻弄されている企業もあるが。一方で、いわゆる「地場産業」と言われてきた企業も、じわじわとグローバル化の波を被り始めた。いや、足下から浸水し始めたと言った方が似合っているかも知れない。

「100円」で、殆どの日常品が揃ってしまうのである。

止まらないリストラ

 2001年は、こうした軋轢に耐えかねたかのように、多くの企業が行き詰まった。会計制度の変更などが直接の引き金となったが、これは、本来なら、もっと早い段階に実施しているべきだったのだから、必ずしも、会計制度の変更の所為ではない。もともと存続できない状態の企業に対して延命処置を続けて来ただけである。利益を上げるという、企業として(特に株式を発行する企業として)必要な条件を満たしていないのである。それでも、「失業」を回避するために、今まで存続させてきたのである。

 もともと大企業は、「終身雇用」の終焉を誤魔化すために、多くの子会社を作ってきた。そこでは、生産性を度外視したかたちで経営されてきた節がある。赤字を垂れ流しても、逆に、本社の利益を圧縮して「節税効果」に寄与してきたのである。それが「連結会計」で出来なくなった途端に、清算に踏み切ったものだから、堪らず完全失業率を引き上げることと成った。そのような企業を清算することは間違っていない。だが、日本中で一斉に清算に踏み切ったものだから、弊害が出てしまったのである。いわゆる「合成の誤謬」である。

 でも、それだけならまだ問題は半分で済む。問題を大きくしたのは、「開発輸入」と重なったことである。いづれ、円高が継続すれば、このことは表面化する。国内で作るよりも海外で作って輸入した方が安く手に入るということは、誰でも分かる問題である。そこに新しいビジネスモデルを見出すのも、正当な行為である。

 円が、110円前後の状態がしばらく続いたことで、この問題が持ち上がることは分かっていた。もちろんアジアの製造能力低いままでは、この問題は成立しない。80年代後半の「円高不況」の時は、一部の製造業が国外に出たが、まだ日本との間で製造能力に大きな開きがあった。それが、90年前半の超円高によって、アジアの扉が本格的に開かれた。ここが。「国民経済」の終焉の始まりだった。さすがに多くの製造業は、国内での製造を諦め、アジアでの製造に踏み切った。こうして「100円ショップ」の誕生へと向かう。

 この段階で、それまで国民経済の枠組みの中で存在し続けた中小の地場産業の存在が、グローバル化の波を被ることは避けられない状態になった。国内の製造コストを引き下げるか、付加価値を付けてアジアとの共存を図るかの選択が迫られた。だが、それを支援するはずの「IT機器」も、殆ど活用されなかった。そのような中小の企業には、「IT機器」を使いこなす文化はないし、数多あるソフト会社も、受託開発の体制を変えることが出来なかったため、パッケージソフトが作れず、彼らの「IT機器」の活用を支援出来なかった。

 その結果、製造コストの引き下げは、直ぐに限界に達してしまった。高付加価値化の方も、横並びの行動に首まで浸かって来た人たちにとっては、殆ど新しいアイデアは出てこない。焦っても出てこないものは出て来ない。永らく、日本では組織の中で競争を仕掛けてこなかったことも、いざというときに「横並び」の意識から脱却できない状態に繋がっているものと思われる。生産性を追及するにしても、新しいアイデアを競うにしても、「競争」してこなかった中からは、求めるものは出てこない。競争が創造の源泉なのである。

 揚げ句の果ては「政治頼み」となる。「集票マシン」となって選挙を支援する代わりに、自分たちの保護を求めた。これまで日本の復興に体を張ってきた自分たちを見捨てるのか、という主張には、ある意味での説得力がある。多くの政治家も、これに乗った。そのことで、確実に当選が計算できたから。これが「抵抗勢力」として機能しているのである。

 もちろん、全ての政治家がそのような打算で行動しているとは言いたくはない。中小企業の人たちに対して、突然に、時代が変わったのだから諦めてくれ、というのは決して正しくない。だが、半分は時代の流れであるということは説得しなければならない。後の半分は、政治の失敗だったと謝罪して説得しなければならない。「競争」を封印したのも、その状態を永らく止めていたのも政治だから。

 企業内での競争を阻害しているのが、約25年前に出された「労働基準法第20条」を事実上封印する判例である(詳しくは「労基法20条死文化の問題」を参照してください)。これによって、事実上指名解雇が封印された。戦後の復興期にあっては、これは「推進力」に貢献した。だが、90年代に入って、経済の構造が変わり、日本の役割も変わって行くときに、この判例は変化に対する「足枷」となった。

 政治が、もっと早くこのことに気づくべきであった。指名解雇の封印が、企業内での競争を事実上封印してきたのである。組織内で競争しない企業が、他社との競争に勝てることは殆どない。結局、今日のリストラは、もっと早く整理されるべき企業が、ここに来て一斉に整理が始まったことと、中小企業の生産性や高付加価値化への転換が遅れたことで、輸入の圧力に耐えられすに廃業し始めたことの2つの要因が重なっているのである。

 まさに、日本の企業の競争力が低下しているのであり、そこに、「労働基準法第20条」の封印が絡んでいるから、解決が難しいのである。

地に落ちた競争力

 嘗て日本の製品は、世界を席巻した。今でも、一部の製品は、世界を席巻し続けている。だが、多くは、かつて程の威力はない。日本の製品の品質に大きく貢献したQC活動も、一時ほどは貢献しなくなった。原因はいくつか考えられるが、総じて言えば、組織の中で競争しなくなったことが大きい。

 この状態を一言で言えば、組織内が社会主義に冒されていると言える。営利を目的とするはずの企業組織が、社員として存在するだけで給料がもらえる状態に陥っている。まるで社会主義的風土に覆われていように見える。これでは競争に勝てる訳が無い。かといって、単純に尻を叩くマネージャーも無意味である。彼自身が、「マネージメントの技術」に対して競争力を持っていない。もし、指名解雇が可能であれば、彼の組織に居る有能な社員は、簡単に辞めていくだろう。

 指名解雇が可能と言うことは、有能であれば新しいところで雇ってもらえることを意味する。だから、無能なマネージャーも存在できなくなる。一人の無能なマネージャーが居ることで、多くの有能な社員が居なくなるのだから、そのような人事は出来ない。もちろん、この関係は、組織の上の方までさかのぼる。企業のトップが、ただ神輿に担がれるだけで無能であれば、その会社は立ち所に有能な人材を失うだろう。

 だが現実には、これは起きていない。いや、これとは全く逆のことが起きている。かつての貧しさの中で育った人たちは、ある意味での競争心は持っていた。選択肢を持たない世代は我慢強いところがあるし、ぼうっとしていては、食べ物が手に入らない。兄弟の人数が多いということは、黙っていれば食べ物にありつけないということでもある。だから競争した。

 だが、今日では、大きく代わった。生まれたときから選択肢を持った世代、あるいは、競争とは無縁の世代が、組織の過半数を占める前に、マネージメントの方法を変えるべきであった。だが、殆どの企業では、その必要性を認識しなかった。「新人類」の到来だとか言って騒ぐだけで、それが、組織に何をもたらすかまでは考えなかった。「指名解雇」の封印の影響が、そのとき既に蔓延していたのかも知れない。こうして、日本の企業は競争力を失った。

 一部の評論家は、「日本は、嘗ての荒廃から立ち上がった実績」を強調したり、明治維新の事例を挙げて日本は必ず立ち直るという。だが私に言わせれば、そこに居る世代の考え方ら大きく違っている。嘗ての文化は継承されていないと思っている。少なくとも、この間に「指名解雇の封印」の影響が蔓延している。決して同じ日本ではない。

 もちろん、単純にこれだけが原因というつもりはない。為替(円高)の問題もある。だがこれは、ある意味では、日本の経済力のもたらした「結果」でもあるので、容認しないわけには行かない。そうなると、やはり、時代の変化を見逃したこと、その変化に対して、組織内で変化させることが出来なかったことが、競争力を失ったと言える。

 「より多くの人々が恩恵を受け、競争を通じる社会制度や組織、体制が生き残る」と言ったのはハイエクだが、これは当時のソ連に対する批判である。そのため、ハイエクはヨーロッパから追われアメリカに活動の拠点を移した。ハイエクの死後、数年経ってソ連は崩壊した。今、私は、ハイエクのこの言葉が、日本に対しても当てはまるのはないかと心配している。

 障害となっている指名解雇の「足枷」が外れれば、日本の企業の生産性は、まだまだ上がる余地はあると思っている。そうすれば競争力はまだ上がる。だが、それには「時限」がある。競争は「相対的」なものだから、競争にならない状態になってからでは意味がない。

競争力をつけよ

 とにかく今、必要なことは、競争力をつけることである。リストラの野火を食い止めるのも、競争力によって風向きを変えるしかない。赤字垂れ流しの企業のように、風下に立っていては、リストラの野火から逃れられない。

 組織の競争力は、個人の競争力の集積である。個人レベルで競争力を持った人がその組織にどれだけ居るか、そしてその人たちの能力が活かされるようなマネージメントが行われることが、組織の競争力となって表面化するのである。個人の競争力とは、組織の中で、個人個人が競うことに他ならない。

 あの人に出来ないことが出来る。誰も挑戦したことのないこと挑戦して成果を上げてくる。これが競争力である。この競争は、製品の技術領域だけでなく、ソフトウェアプロセスの領域においても当てはまる。大事なことは、そのようなことに挑戦しようという風土を作ることである。そのような挑戦が正しい行為であるという認識を行き渡らせることである。

 残念ながら多くの日本の組織は、むしろこの逆の状態にあるものと思われる。組織の先輩が出来なかたったことに挑戦することがタブーになっていないだろうか。あるいは、先輩の成果を打ち消すようなことに挑戦することがタブーになっていないだろうか。もし、そんな空気が存在しているなら、そこでは個人の競争は起きないし、当然、組織の競争力も失ってしまう。

 企業だけではない。官庁だって同じである。薬害エイズ、硬膜によるヤコブ病、最近の狂牛病などは、みなこの構図(先輩の仕事を否定できないという構図)で起きたことである。「H2A」のロケットの度重なる失敗も、同じ構図ではないかと疑っている。これは、組織の中に競争を厭う人がいる証拠である。追い越されることを良しとしない人がいるものと思われる。とにかくこの状態を排除することが先決である。もし、これが実現しなければ、日本経済の再浮上は実現しない。いや、先に揚げたハイエクの言葉が、日本に当てはまってしまう。

 従ってエンジニアの皆さんは、来るべき競争の時代に備えて、準備を怠らないことです。人に勝るものを身に付けることです。誰も出来ていないことに挑戦する方法を手に入れることです。もちろん、本当に誰もやったことが無いことに挑戦することは非常に難しいです。でも、本や報告書になっていて誰かがやったことがあると言うのであれば、何とかなります。

 私は、コンサルティングの場で言い続けていることがいくつかありますが、その中で、「清水流3原則」というのがあります。
 1.フライングOK
 2.カンニングOK
 3.合わせ技OK

 この条件があれば、1番になる方法は考えられます。もちろん、「学校」という世界では、アンフェアな方法です。でも、企業に於ける経済活動となれば、まったく問題ありません。

 人よりも早く時代を見据えてフライングすればいいのです。何も、皆に声を掛けて「よういどん」で走り出す必要はありません。また、多少の制限はありますが、基本的にはカンニングもOKなのです。今の時代はオープンソースで勉強することは容易なことです。もちろん、社内の先輩のプログラムや成果物の構成などを研究するのも良いでしょう。プログラムを書くときも、自分でまとめた参考資料をカンニングしながらでも構いません。

 そして、必要なら合わせ技も使えます。単なるソフトウェアエンジニアでは1番になれないと思えば、「ハードが分かるソフト屋」という手もあります。回路図が読めるソフトウェアエンジニアというのは、組織によっては、それ自体が競争力を持ちます。「仕様漏れの起きにくい要求仕様が書けるソフト屋」というのも、とてつもない競争力をもたらすはずです。

 こうして、人が出来ないことを出来るようになることによって、リストラの野火の影響を受けないで済みます。それだけではありません。日本の競争を阻害している指名解雇の封印は、いずれ解除されるでしょうが、その時こそ、こうして手に入れた競争力が、単に防衛の意味ではなく、積極的に打って出る時にも威力を発揮するはずです。

 ここで大事なことがあります。それは、そうして手に入れた競争力を、決して独り占めしないことです。それを独り占めすると言うことは、個人のレベルで一定期間の競争力にはなるでしょうが、その競争力が組織のレベルになっていないと、結局は報われません。もう一つの問題は、いつまでも「過去の競争力」から抜け出せなくなる危険が大きくなってくるということです。

 本当に、競争力を手に入れたのであれば、その「方法」も手に入れていなければなりません。それがあれば、次々と対象を移していけるのです。たとえば、上に揚げた「3原則」を自在に使えることによって、時代の求めるところを察して、新しい競争力を手に入れることができます。そのとき、前の技術を公開していなければ、いつまでも「そこ」に固定されてしまい、結局は、時間と共に競争力を失うことになってしまいます。

 競争力をつけると同時に、競争力を付ける方法を手に入れる事こそ、指名解雇の時代に備えることになるのです。そして、これが日本の経済を救うことになると考えています。

 2002年1月
 「硬派のホームページ」主催者より


◆◆◆ これまでの巻頭書 ◆◆◆

2001/01〜  21世紀にどう対応するか

2000/08〜  “先送り”のツケ

2000/01〜  21世紀への準備

1999/03〜  本当の問題

1999/01〜  1999年のはじめに

1998/10〜  これから始まること

1998/05〜  金融ビッグバンを迎えて

1998/01〜  1998年を迎えて