“先送り”のツケ

(2000/8/1 掲載)


先送りした不良債権問題

 衆院選の前に、“景気の回復基調”をアピールしたばかりだというのに、「そごう」という1民間企業の行き詰まりをきっかけに、日本の株式市場ががたつきだした。もしかしたら、世界の資金は、日本を信用できないと思ったかもしれない。さっさと株を売ってドルに交換し始めた。
 1997年のアジアの経済危機のあと、小渕政権の下で対応が終わったはずの金融問題が、実は終わっていなかったことを世界に暴露したからである。90年代の殆ど全ての時間を費やして対応したはずの不良債権処理は、殆どまやかしであった。その証拠に、いまだに日本の金融機関は80兆円もの不良債権を抱えている
 今この国はバブルの崩壊時と何も変わっていない。10年の歳月をかけて、巨額の金をバラ播いて問題の先送りをやってきたに過ぎない。しかもその金は孫の代の資産を担保にして引きだしたものだ。世界の潮流に合わせたと見せかけての金融機関の統合も、巨大化することで潰しにくくしたに過ぎない。巨大な企業(特に金融機関)を潰せば、大量の雇用の問題が表面化するため、政府はきっと助けてくれると言うわけである。その証拠に、「ゼロ金利」を言い訳にしたまま国民に何も還元されないではないか。
 景気が緩やかに回復している、あるいは企業の業績も改善し始めたといっても、それは「ゼロ金利」に象徴される「超低金利」の土壌の中での話しである。金融機関も一時の危機を乗り越えたといっても、「タダ」に等しい利息を押し付けられた預金者の犠牲の上での話しである。世界に胸を張れる状態とはほど遠いのである。
 結局、この10年、日本の金融機関は、おとなしく我慢強い国民を踏みつけたまま、殆ど全ての改革を先送りしてきた。すばやくネット社会を引き寄せたわけでもない。イタリアのような中小企業を活性化するアイデアを出してきたわけでもない。巨大化した後も、旧態依然とした「駅前ビジネス」を続けている。日本の金融機関は、21世紀に向かって「光明」となりそうな種火は、何も作らなかった。

変化を先送りした

 80年代半ばから、世界は「変化」を潮流として動いてきた。ベルリンの壁の崩壊は、まさに90年代の入り口としての象徴であった。冷戦から開放されたアメリカは、クリントン政権を選んで一気に変化を旗印に経済を立て直した。80年代半ばから競争を阻害する要因をことごとく排除して経済の活性化を図った。一方では、マネージメント革命のベースを活用して、そのまま「IT革命」を推進した。
 ヨーロッパは、数10年の歳月をかけての「統合」を実現させ、「変化」の船を大海に漕ぎだした。今は波に揺さぶられているものの、漕ぎゆく方向は見えている。人々は、市場が何を求めているのかを感じ取っている。まるで、社会が「スケルトン」の電子機器に包まれているかのように、どのような技術を身に付ければ、活躍の機会を得ることが出来るかが透けて見えているのではないだろうか。
 金融危機を乗り切ったアジアも、欧米諸国にいいように使われた時代から、明らかに自分たちの意志をもって動き出している。まるで、70年代の日本の姿を見るような勢いである。世界の中での役割を、その目でしっかりと見届けたかのようだ。

 それに対して我が国の現実は、何が変わっただろうか。日本中の“サラリーマン”を恐れさせた「リストラの嵐」は、2000年に入って、いつの間にかどこかに行ってしまった。日本列島を掠めただけで、列島にそって上陸するという最悪の状態は免れたようで、多くの人達は、ほっとしているところかもしれない。だがその代償として、またしても「変化」の機会を失ってしまった。
 政治は言うまでもないが、企業も、その組織の構成や内部の意思決定の仕組みも、個人と組織の関わりや人事のあり方も、何も変わっていない。教育改革が叫ばれて久しいが一向に改善しない。生徒数の減少に恐れをなして、盛んに合併を画策するだけで、教育の中身に触れてこない。国立大学を法人化すると言う方針も、その進み方はまるで「牛歩」のようで、談合でもしているのではないかと思いたくなる。おそらく、「変化」を怖がっているのだろう。

 そのような中で、新政権の目玉とばかりに「IT革命を!」と騒いでいるが、その何たるかを知っている人が、いったいどれほどいるか。もし、その内実を知ったら、既得権者はこれを政策の看板にすることを良しとしないはずだ。アメリカで起きている「IT革命」というのは、まさに既得権者の権益を、殆ど無に帰するものだから。自らをマネージメント出来ない人達の活躍の場など、そこには存在しないのだから。これは順序立てて取り組まないと、不要な混乱を招いてしまう。今の状況では、「IT機器」の生産に取り組むだけで終わってしまいそうで、社会の基盤や組織の効率化と言った「革命」の部分は、先送りされるだろう。

 ソフトウェアの開発方法も相変わらず遅々として向上しない。場当たり的に何とか対応できればそれでいいと思っているのだろうか、いつまで経っても同じパターンである。組み込みの世界では、メーカーは最終製品で競争しているのに、そこでソフトを担当しているソフト会社は一向に競争してこないし、逆に出来ない理由を並べて顧客の要求するレベルを越えてこない。“それでもプロか”と言いたくもなる。最近では、ハードの設計までおかしくなってきた。開発期間が短くなったことや、その結果として「試作」の時間が減らされてきたこと、あるいはゲートアレイなどの(ソフト開発の性質をもった)設計が増えたことが直接の原因である。市場の要請の変化に、開発方法やエンジニアのスキルが追いつかないのである。
 その上、多くのソフト会社は、組織としての能力の向上にも取り組んでいない。相変わらず「個人」に依存したままである。ソフトの比重が増える状況にある以上、ソフトウェア開発の出来不出来が、最終製品の死命を決すると言っても過言ではないのである。「プロセスの改善」に本気になって取り組んでいるソフト会社は、一体どれだけあるのだろう。
 90年代の半ばに“オブジェクト指向を勉強しなくちゃ”と言って、多くのソフトウェア技術者は焦ったはずである。だが、実際には「C++」を小手先で操って何とかごまかしている。かって構造化手法を勉強することなく「C」言語を操ったように、オブジェクト指向を勉強することなく「C++」を操っている。そこには「パラダイム・シフト」と言えるものは存在しない。取りあえず「C++」が書けたことで、本格的なオブジェクト指向の勉強は先送りしてしまった

組織の過ち

 我が国の企業組織の特徴は、そこが一つの“コミュニティ”になっている事である。いわゆる会社を「ムラ社会」と位置づけてきた。戦後の復興に当たっては、この「ムラ」の仕組みが大いに機能した。皆で秩序を乱すことなく、日本の経済が世界に追いつくまで我慢するということで合意ができていた。隊列を乱すことなく「和」を保って行動することで結果を分かち合えた。誰の成果でもない、そこに所属する者のみんなの成果としてその恩恵にあずかることができた。そこでは仕事の種類に値段を付ける必要などなかった。自分の仕事は自分で決めるのではなく組織の方で決めてきたことも、“コミュニティ”性を受け入れる下地になっていた。だが今日にあって、この“コミュニティ”性が、組織の変化を阻む最大の要因となっている。

 『社会、コミュニティ、家庭は、いずれも安定要因である。それらは、安定を求め、変化を阻止し、あるいは少なくとも減速しようとする(P.F.ドラッガー)』。つまり地域社会や家庭など、“コミュニティ”には異なる目的を持った人達が集まっており、それ自体が無目的集団であることが、変化を阻止する方向に反応してしまうのである。一方、企業などの組織は、特定の目的を持った集団であり、市場の変化など外的変化に対抗して、自らも変化しなければならない使命を持っている。我が国も90年に入って、「BPR(Business Process Reengineering)」に代表されるように、まさに企業の仕組みや目的性などを明確にし、組織を組み直して効率を高めるように変化することが求められた時期があった。
 90年の後半には、IT機器の普及で、これまでのような「上意下達」の組織の情報伝達経路に意味がなくなったにも関わらず、電子メールやDBなどのツールを、単なる「回覧」の代わりとしか活用せず、相変わらず「順番に」情報を上げていく。その結果、効率の悪い組織(や仕組み)は温存された。DBも、自分から積極的に見に行こうとしない。いつまで経っても「情報の共有」を進めようとしない。そのため、情報がトップに伝わるのに何日もかかってしまう。「雪印乳業」が、はからずもそれを露呈してしまった。“コミュニティ”性が、ここでも変化を阻害している。

 企業の人事も、全く旧態依然としたままである。時には30年以上も時代をさかのぼったかのような錯覚すら覚える。今日では組織の中で知識労働者の比率が増えているにも関わらず、相変わらず新卒者の採用に、その殆どのエネルギーを費やしている。そこにはコストの意識は存在しない。10人の新卒者を採用するのに、その何10倍もの学生とのやり取りにコストをかけている。その上、新入社員を迎える“行事”が終われば直ぐに来年の準備に取り掛かるというように1年中新卒者の採用に駆け回っている。自分たちの作業には「コスト」は関係ないとでも思っているのだろうか。
 たとえ新卒者を採用するとしても、ある程度の人数に絞り込むまでは専門の業者に任せる方法だって考えられる。企業の人事部門は、従業員のケアに、もっと時間とコストを投入すべきであるし、採用も、現場が勝手に(とまでは行かないだろうが)外部の業者に委託してもよいくらいだ。
 それよりも、採用した人が、実際にどのような状態で仕事をしているか。その職場がその人に適したものになっているか。あるいは、辞めていく人が目に付くが、特定の部署の運営に問題はないのか、といったように、メンタルケアも含めて、社員の教育や採用した人を失わないためにエネルギーを投入すべきである。人事部門と言えども「変化」の枠の外にあるのではない。
 「前例」という縛りも、組織に根づいてしまった“コミュニティ”性と無関係ではない。

なぜ変化を避けるのか

 「IT革命」は、戦後の復興期に匹敵する程の変革をもたらす(はずだ)。ただ違うのは、全てを失った状態での変革と、全てを失うかもしれない変革との差である。“コミュニティ”としての組織に所属している事で分配されてきた豊かさが、新しい世紀では分配されなくなりそうだということで、人々は恐れている。「安易なリストラは、組織のモラルを破壊する」などと言わせて、組織が本来の役割を取り戻すための変化を阻止した。「雇用を守る」ということを錦の御旗にして、変化を遅らせた
 多くの人は、組織に「所属」しているものの、明確な貢献の手段を持っていない。いや、そのようなものが必要であることは指導されなかっただろう。あるいは、「ブルーカラー労働」の特徴ではあるが、貢献の手段が組織の中に存在しているため、「失業」ということに恐れおののくようになった。“コミュニティ”性が、失業状態にある者に対して「落後者」の烙印を押すことにも作用した。
 本当なら、「21世紀に備えて、組織のモラルを維持したまま、組織本来の機能を取り戻す方法を研究せよ」という指令を出すべきであった。だが、マスコミも含めて、あらゆる組織に蔓延した“コミュニティ”性が、組織が変化することを妨害した。
実際、2000年を迎えて、「就職しない症候群」なる現象が見られるようになったが、これもマスコミや社会の視線は「落後者」の目であって、変化に伴うズレという視線で見ていない。この現象を報道する人たち自身が、“コミュニティ”の罠にはまっているのだから厄介である。
 “コミュニティ”性を持った組織は、そこに所属する人達の思考をも奪ってしまった。慣習を破ったり、ひとり目立つような行動は、秩序を乱すものとして忌み嫌われた。そのような中に身を置くことで、思考を停止させてしまったのだろうか。広く行き渡っている“減点主義”も、目立つ行動を制止する方向に作用している。「どうせ言っても無駄だろう」「言い出しっぺは損をするだけだ」「先輩のやり方を批判することになりはしないだろうか」と言う言葉は、組織の中でしばしば耳にする。これらは全て変化を阻止、あるいは減速させる方向に作用してきた。
 労働者市場の創設とかいって予算を付けた組織があるはずだが、実際には、殆ど機能していない。私に言わせれば、あくまでも“コミュニティ”組織を維持したい人達が、カモフラージュに使ったのであって、本気で労働者の流動性を考えているとは思えないのである。天下りのポストを提供しただけで、関係者は積極的に推進しようとは思ってはいないのではないか。
 組織が“コミュニティ”の仮面を付けていることに疑問を感じることなく受け入れてきた世代が、21世紀を前にして変化を受け入れるには、50年はあまりにも長すぎたかも知れない

率先して変化を

 このように、我が国は10年という間、変化を先送りしてきた。不況が循環の問題だけでなく構造の問題だと分かっているはずなのに、循環に期待して、いまだに“ニューディール”政策を進めている。確かに80年代までは“ニューディール”で対応できたかも知れない。循環に期待するというのは、そのまましばらく耐えるという事であって、そのために政府は当座を凌ぐための「お金」を回すだけでよかった。だが90年代に入って、その処方箋が利かなくなっても、処方を変えようとしなかった。構造の問題に手を付けるということは、そのまま「雇用」の問題に手を付けることを意味したからである。「IT革命」は、まさに手詰まりの現状をごまかすのに絶好のターゲットであった。本来、これは構造の変化を前提としているテーマであるにも関わらず、またも循環の処方箋に使おうとしている。これは非常に危険な行為である。
 もはや循環の処方では効果は限定されるしかないのに、循環の処方に「IT革命」を使ったことで、二度と本来の場面で使うことが出来なくなる可能性も否定できない。「IT革命」は、21世紀への変化の大きなきっかけとして使うべきであるのに、その上に、21世紀の日本の経済や社会を築くべき“社会基盤”とすべきことであるのに、このままでは、「流行」の一つとなってがらくたと一緒に納屋の隅に放り込まれてしまう。
 これは、単に政策責任者の問題ではない。いまだに「景気回復を」というのが政策責任者への最大の要求であるということが問題なのである。何度も言う。循環の問題であれば、今までの方法(“ニューディール”)でも良かった。だが構造の問題となると、単に景気回復を「要求」するだけでは実現しない。国民が「雇用の痛み」に耐えることが求められる。痛みの程度の問題は、政策によって多少は緩和できるかもしれないが、基本的に「雇用の痛み」を避けて通る方法はないだろう。国民が、孫のクレジットを先取りしてでもこの痛みを避けようとする限り、変化の先送りが繰り返されることになる。そして、そのことは、世界の経済活動から、日本の役割が消えることをも意味する。大げさと思うかもしれないが、「金の切れ目が縁(円)の切れ目」になりかねないのである。
 これを避けるには、一人ひとりが、自分の雇用問題と正面から向き合うしかない。いつまでも目を反らしていては、何も解決しない。そればかりか、問題が大きくなって解決方法が難しくなるだけだ。今すぐにでも、変化を受け入れるために何をすべきかを考え、それを行動に移していくしかない。自分の強みを作って、そこに専門家(プロ)としての足場を築くことである。今こそ、私たち一人ひとりが変化しない限り、日本は変化しない。組織の“コミュニティ”性を排除し、「変化」や「絶えざる改善」あるいは「創造的破壊」といった組織本来の機能を取り戻さなければ、日本の将来は暗闇の中である。政策責任者の動き(変化)を待っていては間に合わない。

変化の要請

 市場は、根本的にそこに参加している組織に対して変化を求めている。今まで以上の貢献を期待している。10年前と違って、ソフトウェアの世界でも、90年の後半から次々と新しい開発方法が提案されている。多様化する市場の要求に応えるべく提案も多様化している。「CMM」や「RUP」が本流だとすれば、そこからいくつもの支流が分かれだしたのである。これはソフトウェアの分野だけの話しではない。ハードウェアの分野でも、スピードアップした市場に貢献する為に、次々と新しい考え方や方法が提案されている。
 これには、発明や発見のスピードが“ものすごい”状態で変化していることと、市場への参加者が一気に増えたことが背景にある。地球規模で経済が発展し、国ごとに教育のレベルも向上したことも大きい。「昔は50年に1回の割で発明や発見があった。今では10分に1回というペースになっている」(ミンスキー博士:人工知能の権威者)と言わせるほどである。もちろん、そこにはコンピュータ(ソフトウェアも含めて)の目を見張る発達(変化)があることは言うまでもないが、その結果は、想像を絶する程にもなっている。ヒトゲノムの解読やインフルエンザ・ウイルスの感染を防ぐ特効薬の開発など、簡単にやってのける時代である。この先、10年も経てば、今のようにガソリンを燃やして走る自動車は、肩身の狭い思いをしているかもしれない。公式には、もっと先になっているが、競争が入ってくることで早まるだろう。
 すでに自動車の新車の開発も12ヶ月で実現しようとして、各社がその方法を競っている。そのような時に、ソフトウェアの開発が、今と同程度の生産性しか出せないとしたら、果たして市場に存在する価値はあるのだろうか。少なくとも、自動車に搭載する部品や電子機器やソフト製品は、その要求に合わせなければならない。それが出来なければ、市場から退散するしかなくなる。

 「競争」は、確かに楽ではない。だが、もし競争がなければ、後から参入する余地は極端に狭められてしまう。競争があるから、遅れて生まれてくる人にも、新しい変化を提案することで参入のチャンスが与えられるのである。先に参入した者の都合で、これを妨害してはならない。いや、市場はそれを許さない。

このホームページをご覧の皆さんは、新しい組織のあり方を追求して、自ら「変化」を先取りすべく取り組んでください。それが活かされる時が必ず来るはずです。対応が遅れれば、折角、ここまで来た道程が無駄になってしまう。

 2000年8月

 「硬派のホームページ」主催者より