1999年のはじめに

(99/1/2 掲載)


  いよいよ2000年まであと1年です。あと1年で2000年問題への対応が試されるわけです。もちろんその前に1999年問題やGSPなどの問題もクリアしなければなりませんが、本命は2000年問題です。この数年、世界中が2000年問題のハードルをなんとか越えようと努力してきました。このあと壮大な実験も計画されています。

 この問題は、カレンダーが相手であるだけに、延期することも、やり直すこともできません。「未対応」の箇所は、基本的には発症する危険があります。未対応の箇所が特定できれば、まだ対応方法を考えることも出来るでしょうが、それが特定できていない状態では、どこで発症するか分かりません。

 またこの問題の発症によっていろいろな作業が発生することになります。特に「リスク管理」が未発達の我が国の場合、事後処理が多く発生してしまう危険があり、そのことによって、本来のソフトウェアの開発案件を遅らせることになるでしょう。普段から、作業を計画する能力を持っていない組織は、たちどころに「デスマーチ」の状態に陥る可能性があります。そしてそのことは、「競争」からの脱落、市場からの撤退を意味する危険すらあるのです。

 でもこれは、21世紀へのほんの序曲に過ぎません。

  ユーロの出現

 もう一つの問題は、ユーロの出現です。1月1日を前にして、EU加盟国の通貨とユーロとの交換レートが確定し固定されました。この瞬間に、ユーロが誕生したわけですが、これは間違いなく新しい機軸通貨としての地位を獲得するはずです。さて、ユーロの誕生が、いったい何をもたらすか。殆ど未知の経験だけに、予想することは難しいのですが、小さな兆候を捉えることは出来ます。

 中でも我々に関係の深いこととして、企業の生産性がそのまま表に出てしまうことがあげられます。これまでは、生産性の「差」は、通貨の交換レートという緩衝帯によって隠されてきました。皮肉にも1つの通貨になったことで、「隠れ蓑」が取り払われる結果となり、生産性の「差」が、そのまま競争力の「差」となってしまいます。すでにこのために生産拠点を他の国に移した企業も出ています。

 この事態に対応するために、企業は生産性を上げなければなりません。効率の悪い作業を放置していては、事業を続けることは出来なくなります。逆に、このような状況が、ヨーロッパの企業の生産性を高めることに繋がるはずですし、アメリカの企業と対抗するためにも、そのような競争力の向上は、必須の取り組みでもあるわけですが、それが通貨の統合ということで「内側」からも迫られる結果となっているのです。

 また、ユーロが出現したことで、アジアの国々とEU各国との交流が今以上に活発になることが予想されます。もともと、アジアはアメリカよりもヨーロッパとのつながりが深く、昨年のアジアの通貨危機以降も、日本の企業が尻込みしているなかで、ヨーロッパの企業は進出を盛んにしています。アジアの国にとっても、これまでとは違って通貨が統一されたことで、ユーロを第2の基軸通貨として保持しやすくなったことも、支援材料です。

  落ち着きを取り戻したアジア

 一方で、最近のアジア各国は、1年前の通貨危機の混乱から立ち直りの気配を見せています。株価や通貨も安定し始めていて、国によっては、確実に前進を始めています。円が対ドルで円高の傾向にあることも、アジアの国々にとっては追い風となっているようですし、この状況を受けて、アジア各国への資本の注入も改善しているようです。一時は高い失業率を記録し、国の経済運営が危ぶまれた時期もありましたが、問題への対応を済ませた国や企業から、改善の兆しが現れています。

 早晩、アジアは立ち直ることが予想されます。生産コストも断然安いし、1昨年の通貨危機以来、競争力に対する意識は高いため、投資を呼び込める状態にあります。

 一方で、この時期に対ドルでの円高に傾斜したことは、問題の着手を先送りしてきた我が国の企業にとって、致命的なダメージを与えかねません。エマジェンシー・マーケットなどでのドルの不安が、1時的にドルからの避難場所として円が買われているのですが、輸出に依存する日本の企業にとっては、最後の砦が揺らいでいるようなものです。

 根本の問題である「過剰」への着手を先送りしてきたツケが回ってきているのです。対応が遅いため、解決されないまま次々と問題が重なってしまうのです。『遅いということは罪』なのです。

  対応できない日本の企業

 前回の巻頭書でお知らせした「総合技術移転機構(CPSM)」が、昨年中に設立できたかどうか、今のところ確認できていません。ただ、昨年末に、経団連の方から公的資金(日銀特融)による株式買取機構の設立要請が出されていることを考えると、CPSMの設立が進んでいないのかも知れません。株式買取機構の目的は、円高の向かい風もあって、少なくとも今年の3月末までに自ら業績を改善し、株価を回復させる手立てがないため、公的資金で株価を買い支えることにあります。つまり「株価PKO」の公然版です。今までも、郵便貯金などを原資とする資金が株価の買い支えに使われてきたことは公然の秘密ですが、今回は、それを隠さないで公然とやろうというものです。それほど資金を投入しないと3月の期末決算で、多くの企業が評価損を抱えてしまい、それがさらに金融機関などの不良債権を積み増すことになるからです。

 でも、これによって、日本の企業は、長い目で見れば、自助努力で業績を改善することを放棄することになるでしょう。『便宜に生きて、便宜に死す』という言葉がありますが、まさに、緊急避難処置で1命をとりとめたものの、そのことによって、世界に通用する企業に生まれ変わる機会と能力を失うことになる可能性が高いと言わざるを得ません。

  既存の秩序に明日はない

 今のままでは、既存の秩序は、結局は次の世代に負担以外の何も残さないでしょう。既得権者は、自らの保身以外に、その行動の目的を見いだせないのかも知れません。バブルの終焉からすでに9年も経過しているのです。当時産まれた子供は、もう小学校の3年生にもなっているのです。この間、既得権者は、何も効果的な処置を講ずることが出来ずに、あたら時間を無駄にしてきました。そればかりか、この後も、さらに問題の解決を先送りしようという姿勢が見えるのです。

 確かに、問題の本質は、この日本が今日の成功をもたらした前提〔仕組み)の中にあるため、それに手を付けたときの「姿」がイメージできないのでしょう。そのため、問題の本質に手を付けることを避けて、これまでのように「循環」による回復を期待してきたのです。でもその結果が9年という年月の浪費です。愚かなことに、これだけの期間を無駄にしたことで、折角今まで蓄積した「富」をどんどんドブに捨ててしまうことになっているのです。自分で作り上げたものを自分で壊すことは容易ではありません。

 私には、既存の秩序に、次代の人たちが活躍できる場を提供できるとは思えないのです。このホームページをご覧の“次代”の人たちは、自分たちの手で、自分たちの活躍の場を作りだす必要があります。待っていては、ただ敗北と衰退があるだけです。既得権者が、何もしないのなら、私たち自身が動くしかないのです。『創造的破壊』は、その主役は次代の人たちなのです。

  キーワードは“スピード”

 日銀は、日本の経済は今年の後半から回復すると言っていますが、この9年間に講じた処置は、押し並べて「需給ギャップ」を埋めるための従来型の需要創出処置であり、根本問題である「供給過剰」の削減には何ら手を付けていません。しかも、この方法は、過去9年間効果を上げていないにも関わらず、いまだに同じ処方箋を書いているのです。回復するための必要な処置は何も講じていない以上、今年の後半から回復するという言葉には、何の裏付けもないのです。

 「供給」が過剰に陥っている事については、別のページ(「SCだより110号」根本的に考えよう)で触れていますので、ここでは詳しくは延べませんが、要するに、個々の企業において、「資本」「設備」「人」の3つが過剰なのです。資本に付いては、金融機関を中心にようやく手が付けられたところで、全体としては、殆ど手が付けられていません。設備も、紙パルプやセメントなどの一部の産業で企業合併を機に着手されているだけであり、「人」に至っては、社会的に再教育システムが整備されないため、殆ど手が付けられていません。現在進行中の「リストラ」は、「存否の基準」が示されておらず、正しい意味での「人的過剰」を解消するための処置ではありません。経営上、支えきれなくなったことによる後ろ向きの削減であり、そこには「展望」は見られません。

 なぜ、それが出来ないか。一つの原因は、「遅い」ことにあります。今、求められているのは、「スピード」であり、迅速な判断と決断と行動が求められているのです。そしてこの“スピード”は、『Made in America』(1989年刊)の中で、アメリカ産業の再生の主要キーワードである「プロダクティブ・パフォーマンス」において、コストや品質に並んで重要な課題としてあげられているものです。今日の日米の「差」をもたらした最大の要因は、この“スピード”なのです。

 “先送り”は、国政の問題だけではなく、むしろ私たち一人ひとりの問題でもあるのです。皆さん自身が、行動すべき「時」を先送りすることのないようにしていただきたいと願っています。「幸運」は待っていて手に入るものではありません。

 1999年1月

  「硬派のホームページ」主催者より