21世紀への準備

(2000/1/1 掲載)


 時間は、私たちの備えの状態に関係なく確実に進んでいくようです。もう少し待って欲しいと思っても、いや叫んでも、聞いてくれません。頑固な顧客のようです。3年という時間は、長いようで短い。3年前に、このホームページをオープンし、色々と警鐘を鳴らしてきました。その幾つかは、1月1日からという程の厳密さはありませんが、「2000年」という節目に対して発してきました。そして、いよいよ「2000年」です。ある意味では、日本のソフトウェアの開発能力が問われると思っています。
 今まで、「Y2K」の対応が優先してきました。そこでは“手掘り”でも許されてきました。何でも良いから、“間に合わせる”ことが絶対優先という状態だったでしょう。この間、多くのソフトウェア・エンジニアが嵐に巻き込まれたことでしょう。でも出来栄えはどうか分かりませんが、とにかく「Y2K特需」は幕を下ろしました

サバイバルの開始
 1999年の中ごろから、多くのソフト会社は、予想したように、組み込みシステムの分野に一斉に雪崩れ込んできました。2000年特需の後の市場として、「デジタル家電」「ホームネットワーク」などを目指す組み込みシステムの分野は非常に有望な分野です。他に、金融の分野も、2000年に入って新しく開発競争が動き出すはずです。ただしこちらは今までと違って、今回は非常に高度な金融のノウハウが求められるはずで、誰でも参加できる分野ではなくなっているはずです。
 それに対して、組み込みシステムの世界は、まだまだ“動けばいい”という部分も残っています。もちろん、これからはそれも通用しなくなりますが、今のところ、分野によっては、数100KB程度のシステムも少なくありません。また、今まで“ソフトウェア”とは殆ど縁のなかった製品でも、今後は市場の要請に少しでも素早く対応するために、ソフトウェアの比重を上げていくことも考えられ、そのような分野では、新参のソフト会社でも比較的簡単に手を出せる世界でもあります。何れにしろ、2000年は、組み込みシステムの世界で、ソフト会社のサバイバル合戦が繰り広げられるはずです。

◆ ソフト会社を見極める力が必要 ◆
 これからのソフトウェアの開発は、自前のスタッフにこだわることが出来なくなっていくでしょう。求められる機能が複雑になり、専門性の高い仕様が組み込まれる方向に向かうため、仕様を的確にまとめる能力と同時に、外部のソフト会社や個人の力を借りる必要が生じてきます。そのため、彼らの能力を見極める力も重要になってきます。そこでは、これまでの「外注」という下請け的発想から「パートナー」という協同の発想に切り替える必要があるでしょう。
 残念ながら日本では、CMMのような組織の能力を測る信頼できる評価尺度が普及していません。実際に、「レベル2の認定」ですら、私の知る限り2社しか獲得していないのではないかと思われます。その中には、いわゆる「ソフト会社」が含まれていますが、一般の組み込みシステムを手掛けている会社ではありませんので、現実には、売り込みに来るソフト会社の能力を判定する公的な尺度は無いと言っても差し支えない状態です。したがって、現場の責任者(あるいはマネージャー)が、自らの判断でソフト会社を選定しなければなりません。
 会社が株主重視に重心を傾けていく中で、コストの要求が一層厳しくなり、納期遅れや無駄な作業はチェックの対象になっていきます。当然、外部のソフト会社との共同作業においても、同じような要求が出されるはずで、その最初の関門が、「パートナー」の選定ということになります。選定の段階でのソフト会社に対してどのような要求を出すかということはとても重要な問題で、その後の作業に大きく影響します。
 そして、その次に求められるのが、いわゆる「外注管理」の能力です。委託する作業の定義とそれに伴う仕様の出し方、あるいは作業の進捗状況の追跡の仕方、構成管理や変更制御の進め方、などのスキルが必要になります。
 ただし、一つ言えることは、自分たちの能力を越えて、「パートナー」の能力を引きだすことは困難だということです。優れた「パートナー」でも、主体たる組織の能力が低ければ、仕様の策定段階からちぐはぐな形で依頼することになり、高い成果を得ることはできません。

◆ Y2Kで躓くことろも ◆
 もう一つ気をつける必要があるのは、終わったはずのY2Kの作業でミスが発見され、そのために、「パートナー」のスタッフがその対応にとられる危険があることです。特殊なシステムでなければ、数ヶ月回ってみれば問題が洗い出されるでしょうから、現実には、6ヶ月も経てば、そのソフト会社の手掛けたY2Kの作業が大丈夫かどうかはっきりするでしょう。Y2Kを手掛けてきたソフト会社に対しては、そのリスクを見ておくことも必要かと思います。
 しかしながら、自分たちのプロジェクトの見積りやスケジュールの甘さから、選定や発注に余裕を無くしてしまうと、この種のリスクを見ている余裕もなくしてしまいます。折角、スタートしたプロジェクトでも、途中で、委託先のソフト会社(「パートナー」)が躓いたのでは、話になりません。場合によってはY2Kで訴訟に発展することもあり得るわけです。

◆ 知識労働者に生産性が求められる ◆
 さて、21世紀への準備としての本題に入ります。
 産業革命以来、私たちの生活を支えてきたのは「生産性」であると言っても過言ではありません。生産性が、資本を持たない労働者に富をもたらしてきたのです。そして、人口の移動も、この生産性の低いところから高いところへと動いてきたわけです。農村から都市への移動は、そこにより生産性の高い仕事があるからで、それは富の差でもあるのです。そしてコンピュータの出現は、さらに多くの人の作業の生産性を高めたはずです。いや、高める条件を提供したはずです。それは、私たち「ソフトウェア・エンジニア」にも当てはまることです。今、アメリカでは、ソウトウェアの分野や情報産業に向かって人口の移動が起こっています。それは、そこに「富」があるからです。

◆ 生産性の道具からインフラへ ◆
 これまで、我々の世界では、コンピュータは生産性を引き上げるための道具でした。もっとも、一部では、生産性以前に単なる不可欠な道具でしかないかもしれません。その問題は脇に置くとして、今日では、コンピュータ無しではソフトウェアの開発は出来ません。ただ、問題は、コンピュータを道具として生産性を引き上げるべく使いこなしているかということです。実際問題として、未だにコンパイルの道具にしか使っていない人も少なくないと思われます。あるいは、せいぜい仕様書や設計書などの文書作成ツールとして使っている程度ではないでしょうか。それによって、どの程度みなさんの生産性が上がったでしょうか。
 皆さんに尋ねたいのは、この10年間で、ソフトウェアの開発にあたって、その作業の効率はどの程度改善されたでしょうか。さらに、コンピュータを使うことによって、今まで難しかったテストや評価が、どの程度うまく出来るようになったでしょうか、ということです。
 この10年間で、分野によっては、顧客の要求を仕様の質量の面から見てみると、短くなった開発期間を考慮して、おそらく2〜3倍程度は増えたのではないかと思われます。それを10年前の要員(体制)で対応できているとすれば、生産性も2〜3倍増えたことになります。逆に、要員を増やしているとすれば、生産性は変わっていないことになります。
 多くの組織では、要員を増やして対応しているものと思われるので、実際には、ソフトウェア開発の生産性としては、あまり上がっていないのではないかと思われます。

◆ 間接部門の整理統合 ◆
 昨年後半から、企業の経理や総務、人事といった間接部門の効率化を狙った動きが見られます。かっての「系列」や、連結対象の関連会社間で、経理や総務の業務を一手に引き受ける会社を設立し、「ネッティング」などに対応すると同時に、作業を専門化し効率を上げていこうと言うものです。これが実現するのも、コンピュータの発達とインターネットの普及があったからです。コンピュータが、単に手作業の「置き換え」の道具ではなく、今まで考えつかなかったような作業形態を提供し始めているのです。
 おそらく、そこで行われる“作業”からは、「経理処理」は姿を消していることでしょう。そのような作業は、全部コンピュータの「中」で行われるでしょうから、そこにいる人達は、「判断」と「応対」が中心になっていくものと思われます。伝票や帳簿はもちろん、そろばんも電卓も見えないかも知れません。
 従業員も、そこで求められるのは「会計士」としての能力であって、「簿記」程度の能力では出番はないでしょう。それらは既にコンピュータの中に取り込まれてしまったはずです。したがって、会計士のスキルを合わせ持ったソフトウェア・エンジニアが居れば済むわけです。あるいは、「経理」といっても「プロ」しか必要がないということもできます。
 同じように、総務の業務も、従業員の持つコンピュータからアクセスすれば、用事が済んでしまうようなソフトが用意されておれば、総務の要員としては数分の1から10分の1にも減らすことが出来るでしょう。
 企業の間接部門は、2000年を迎えて、このような段階に入ったと言うことができます。そこでは、いわゆる“ホワイトカラー”の生産性が飛躍的に向上する可能性を秘めています。

◆ 製造業からサービス業へ ◆
 日本は、「製造業」で立ち上がってきた国です。そのため、製造業に従事している従業員の占める割合は、他の先進国と比べても多いはずです。これに対して、アメリカでは、80年代の後半から、労働者の製造業からサービス業への転換が進められてきたことは、報道によって良く知られているところです。しかしながら、この転換のかなりの部分が、間接部門の分社化によって実現していることは、余り知られていないのではないでしょうか。つまり、そこでやっている仕事は昨日までと基本的には変わらないのですが、企業としての形が分社された結果、製造業の従事者からサービス業の従事者に変わるわけです。日本も、今年から、この形が盛んに行われるものと思われます。
 もちろん、単なる分社では事業として成立しません。事業として成立させるには、複数の企業から業務を受託しなければなりません。その中で、今までと比べて、格段の生産性を実現しなければ、事業として成立しないことは言うまでもありません。逆に言えば、今まで、それらの組織を個々の企業の中に抱え込んでいたことで、非効率な作業が温存され、その無駄を各企業が負担してきたわけです(最終的には顧客の負担になりますが)。それが、サービス業として分離することで、一気に生産性が求められることになります。
 同じように、製造業に組み込まれているソフトウェアの開発の関わる組織も、分離して生産性を高める方向に向かう可能性があります。仕様の面でも、色々な機能が複合化し複雑化ていく状況が、関連会社間でソフトの開発部門を結集させる可能性を秘めています。あるいは、オブジェクト指向の普及に伴って、“コンポーネント”の技術が発達することも、開発組織の結集を支援するはずです。そのような新しい組織から、必要なソフト部品(コンポーネント)を組み込んだソースが、まったく違った製造部門(会社)に対してつぎつぎとインターネットを介して提供されていく姿を、私は想像しているのです。

◆ デザインの世界でも ◆
 報道によると、デザインの世界でも、今までは何日も掛けて雑誌や写真集のページをめくって、これと思った原図を発見したら著作権者と交渉し、漸く1ヶ月もかかって1枚のポスターができ上がるという状況だったのが、インターネットの普及と、「デジタル・アーカイブ」の発達によって、イメージにあった画像をすばやく検索でき、著作権料の支払いもインターネット上から済ますことができるため、デザインの作業が半日で出来てしまうという。ものすごい生産性の向上をもたらしているわけです。当然、今まで顧客の注文をこなすために抱えていたデザイナーの人数も、数分の1で済んでしまう。そうなると選別が働き、より優れた能力を持つ人が残ることになります。10倍もの仕事がこなせるのだから、そうして残った人の報酬は、それに見合うだけのものが得られるのは当然なのです。生産性が富をもたらすのです。
 これは、コンピュータが、単なる道具から「インフラ」へと変化したことを示しています。そしてこれまで、コンピュータとは縁遠いと思われていた人も含めて、多くの人の作業の生産性をさらに高める可能性を秘めているのです。

◆ ソフトウェア開発の場にも ◆
 このように、コンピュータやインターネットの発達は、企業の間接部門の作業はもちろん、そうでない人たちの作業の生産性も大きく向上させようとしています。そうなると、そのインフラを造る作業でもあるソフトウェアの開発も、同様の変化が求められることは言うまでもありません。我々だけが、「生産性の埒外」に居続けることは許されません。もちろん、それが容易なことではないことは市場も理解していますので、「Y2Kの対応」もあって、これまで「猶予」を与えてきました
 しかしながら、アメリカを中心にCMMがいよいよ成果を発揮し始めており、そしてそれを支援するかのように、「プロ化」の動きや、強制力のある「ライセンス」の問題が、1,2年前からIEEE を中心に議論されています。幾つかの大学も、この方向に向けてカリキュラムを整備し始めています(この件は、別に紹介します)。生産性を落としている原因は、今日既に分かっており、その対応方法も、ベストではないにしろ、提案されているわけです。IEEE の動きは、その変化を捉えてのことなのです。
 これによって、ソフトウェアの開発の世界にも、明確に生産性への対応が求められることになります。それは、品質やコストとなって表面化し、顧客はそれを判断し選択することになります。エンジニアのスキルも、単に、プログラムが書ける、設計出来るというだけでは、十分では無くなりつつあるのです。それらのスキルは、「ソフトウェア・エンジニアリング」という枠の中の一部に過ぎないのです。

◆ マネージャーにも変化が求められる ◆
 そうなると、そのような部隊を統括するマネージャーにも、大いなる変化が求められることになります。「プロ」化した人達に対する雇用(あるいは契約)の問題はもちろん、彼らをインターネットを介して集める能力も重要になります。日本でも、そのような「市場」が、まもなく整備されることでしょう。そうして集められたレベルの高いエンジニアを統括するには、マネージャーの能力もそれに見合ったものでないと実現しません。IEEE で議論されている「ソフトウェア・エンジニアリング」の項目の過半は、マネージャーにも求められるものです。
 そしてマネージャーの差は、即、開発組織の差となって現れてきます。選択肢を持った「プロ」のエンジニアを繋ぎ止めるには、その組織が、良い結果を達成できる組織であることがポイントです。彼らは、報酬だけで動くとは限りません。報酬をいつでも獲得できる自信を持っている人は、むしろ「満足感」「達成感」を大事にするはずです。それを提供できる組織でなければ、優れたエンジニアを集めることは出来ません。そしてそれが実現しないということは、そのまま組織の衰退を意味します。

 2000年、いや21世紀、この意味からも「選択に時代」に入ると思われます。

 2000年1月

 「硬派のホームページ」主催者より