1998年を迎えて

(98/1/  掲載)


 いよいよ1998年が始まりました。この年がどのような1年になろうとしているのか、皆さんは薄々感じていることでしょう。世界に目をやればEUの通貨統合まで後1年。世界の経済は、この機を一つの目標として、他国に対して優位に立つための方策を次々と講じてくるはずです。それは、ここで遅れをとると挽回に手間取ることが予想されるからです。

 転じて、我が国はというと、4月から改正外為法が実施されます。これによって、日本の資本市場が世界に門戸を開くことになります。これが政府の思惑どおりに運ぶかどうかは分かりませんが、現実の経済活動を行っている組織にとっては、競争上優位に立たなければ組織の存続は危うくなくなります。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という発想に浸ってきた人たちにとっては、今までとは比べ物にならないような競争に晒されるでしょう。発想の転換が出来なかったら、この競争から脱落することになります。でも、市場の求める声に耳を傾け、それを実現しようとする人たちにとっては、今まで以上に活躍の場が広がるはずです。

 これまでこの国の多くの人たちは、ひたすら“頑張って”きました。ただ、その頑張り方が、後戻り作業などが多く含まれていたりして、的を外していたことは否めません。そのため、頑張っても酬われることは無かったのではないでしょうか。また、頑張る方向も違っていました。自分たちの都合を優先し、市場を後回しにしてきた節があります。だから、何時まで経っても非合理な活動が改められることが無かった。

 そのような非合理的な手順は改めなければならないことを認識していながら、その解決を先送りしてきました。問題の大部分は「プロセス」にあることを感じていながら、その解決方法を求めようとしなかった。本心では“次回は、何とか成る”と思っていないのに、そのまま前回と同じ轍を踏んでしまう。そこにあるのは、「むなしい頑張り」であり「酬われない頑張り」です。もちろん、このことは個人の仕事の仕方だけでなく、企業の運営の仕方にも当てはまることです。

 しかしながら、これからはこう言う非効率な行為は、経済活動としては認められなくなります。自分たちの行為が酬われないのは、行為の効率が悪いからです。生産性が悪いからです。この効率を良くすることによって、市場を獲得し、それが報酬をもたらすことになります。そのためには、非効率な組織(部分)は切り離さなければ成りません。そうでなければ、市場はそのような組織の存在を認めないでしょう。

 長く結果平等の空気を吸ってきた人たちにとっては、市場とは何と血も涙もない存在かと思われるかもしれません。もし、そのように感じるようなら、その人は、少なくとも、この先に繰り広げられる競争の社会に於て、とても危険な状態に置かれていると言えるでしょう。市場は公正です。効率よく努力した者にそれ相当の報酬を与えるのが市場です。

 市場は敗者復活を認めています。それは、一度失敗した人の方が、次に成功する可能性が高いことを知っているからです。もちろん、失敗の仕方にもよりますが、生産性や効率の向上に挑戦したが、思ったような結果が得られなかったとしても、逆に成功の可能性が高くなった可能性があるからです。失敗を恐れて何もしないで“失敗”した人には、相変わらず成功の可能性は低いわけです。1度や2度の失敗にめげずに立ち上がって取り組もうという人を、新しい時代は温かく迎えてくれるはずです。少なくとも、私はそう信じています。

これからは、経済活動を主体とする市場に於ては、“市場”に存在する価値のある人や組織だけが、それぞれの役割を得て残ることに成るでしょう。誰を残すかは市場が判断することです。ただ私に分かっていることは、市場の求めるものを、効率や生産性を伴って実現できるかどうかが、判断の一つであろうと言うことです。

 ただ、勘違いしないで欲しいのは、市場は、非人間的な“競争”を求めているのではないということです。“競争”は求めています。でもそれは、市場の要求を効率よく実現して欲しいと言っているだけなのです。そこで繰り広げられる“競争”とは、人として存在することの喜びを維持しながら、品質とコストとタイムリー性を効率よくまとめて実現することを競って欲しいと言っているのです。そのような喜びを与えることのできる組織が、存在する価値のある組織なのです。仕事と幸福、この両方を実現できなければ意味がないのです。人間としての喜びを持てない人たちに、市場の求めるものを実現できるとは思えないのです。

 このホームページのカウントが、開設1年余りで「10、000回」を越えました。開設当初には予想もしなかったことです。一種のねずみ講のように周りの人たちに紹介してくれた結果だと思われます。それだけ、問題意識を持っている人(ソフトウェア.エンジニアやマネージャー)が沢山いるということです。どうか身近にいる人たちが集まって、行動を開始してくれることを願っています。

 あなたたちは、自分の人生を不用意に誰かに預けていませんか?

 いったい誰に預けたのですか? 

 本当に、自分の人生を預けるに足りる人に預けていますか?

 もしそうでないのなら、今すぐ自分の人生を取り戻して下さい。そして自分の責任で歩みだして下さい。自分で見て、自分で考え、自分で判断して行動することです。行動しないかぎり「個」の確立はできません。これからの組織は、「個」の確立ができた人の集団となります。自分の未来を自分の手で引き寄せて欲しいのです。

読者の皆さんにとって、1998年が、そのような年になることを願って止みません。

1998年1月

 「硬派のホームページ」主催者より