last update:96/12/27
確かにこの仕事には高い専門性が求められます。かと言って社会的な視点を無視してもよいと言うわけではありません。むしろ専門性は社会性の上に発揮されるべきなのです。
しかしながら、現実に殆どのソフトウェア・エンジニアは、「社会」から隔絶されています。いや、自らそのような状況に置いているようにすら見えます。まるでそのようなものは、自分の仕事とは関係ないとでも言うように。
でも技術は社会の変化に対応して産み出されているのです。どちらが先かと言えば、基本的には社会の変化が、新しい技術の台頭を求めているというということが出来ます。
ちなみに、今の仕事は20年前にはこの国に存在していなかったのです。そして、一つの技術が50年継続されるような技術は、これからは無いかも知れません。
社会がどのように変化するか、それに対して自分たちの技術に対して何が求められるのかを感じ取ることが求められます。仕事とは社会に貢献する行為である以上、そこに効率的な貢献が求められるのです。少なくともソフトウェアの分野においては、貢献のためのコストが問われます。
というマキアベリの言葉は、時代を越えて今の私たちに投げ掛けられているのです。そして市場の要請を感じ取るためにも、視界は広げておく必要があります。
もう一つの問題は、人には3つの役割があるということです。
すなわち、
1)仕事人としての役割
2)家庭人としての役割
3)社会人としての役割
です。
この3つをバランスさせなければならないのです。もちろんそれぞれ1/3というわけにはいきません。ある時期には、仕事人としての役割が50%を越えるかも知れません。それでも、その他の役割が「0」にしてもよいというわけではありません。
「この3つの役割を免除されているのは、軍隊と囚人だけだ」といった人がいます。いいかえれば、それ以外の人は、この3つを満たすことがいわば“義務”でもあるのです。残念ながらこの国では、一般の人でもこの内の2つの役割を放棄してきました。まるでそれが当然であるかのように。でもその結果得られたものは一体何だったのか。多くの人は、30年間、他の2つの役割を犠牲にしてただ仕事人として過ごしていますが、一体そこに幸福はあるだろうか。すでにその答えを私たちの先輩が出し始めています。
アメリカの猛烈なビジネスマンだって、この3つをそれなりにバランスさせているはずです。そうでなければ直ちに離婚の憂き目にあうでしょうし、社会人としても認められないでしょう。