マネージャーの責任


ここでは、マネージャーとその責任について考えるところを述べることにします。“耳が痛い”方も居られるかと思いますが、冷静にそして客観的にマネージャーのあるべき姿を考えて頂きたいと思います。

一般的に、日本の会社組織において、マネージャーの責任が曖昧であることが目に付きます。たぶん、そのように感じているのは私だけではないでしょう。なお、ここでいう「マネージャー」には、いわゆる中間管理職からリーダーまで、つまり、組織に於て部下(或いはメンバー)を持つ立場の人を指しています。

マネージャーには、本来、
 1)役割(分担範囲)
 2)責任(範囲に対する責任)
 3)権限(責任を全うするために必要な決定権)
の3つが与えられていなければなりません。

しかしながら、どうやら現実には、「役割」と「責任」しか与えられていないのではないかと思われます。そのため、建前としては「責任」があることになっているのですが、実際問題として「責任」を云々することが出来ない状況になっています。

もっとも、マネージャーの「役割」そのものも明確でないこともあります。
 ・リーダーとしての役割、
 ・プロジェクト・マネージャーとしての役割
 ・コンフィグレーション・マネージャーとしての役割
 ・シニア・マネージャーとしての役割
など、マネージャーの立場に応じた役割の定義が曖昧なため、責任範囲も明確ではありません。
ちなみに、リーダーとは、当該プロジェクトの“部分”に責任を持っており、その中には、
 ソフトウェア・リーダーと
 ハードウェア・リーダー
が含まれます。
しかも、この場合、一つのプロジェクトにそれぞれ二人以上居ることもあります。

実際に、作業の遅延や取り組みモレなどの問題が発生するのは、主に分担の“境目”であり、各マネージャーの分担の範囲が明確にされていないことによって、問題がプロジェクトの後半になって噴き出します。
そしてこの種のトラブルは、同レベルのマネージャー同士では、互いに利害が絡むために望ましい方向ではなかなか解決しません。時には、木に竹を接ぐような決着を見ることもあります。

 製品の出荷が遅れた事に対して、一体誰が責任を持つのか。
 工場の量産の準備を狂わせた場合、それは誰の責任なのか
 評価部門に所定の品質で引き渡せなかったときに、一体誰が責任の責任なのか。
 外注に委託した作業が要求の品質で期日どおりに納品されなかったときは、誰の責任なのか。
 分担のモジュールを予定通りの日程で仕上げられなかったために、他のモジュールの分担の人たちに迷惑をかけたとき、一体誰が責任を持つのか。
等など、「責任」が問われる場面は一杯あります。

本来は、それぞれの範囲に応じて役割を分担されているリーダー、およびマネージャーの責任です。たとえば、外注に委託した作業が、期日の1週間前になって納められないことが判明したとき、その責任は、外注業者だけでなく、外注の窓口になっている人(何らかのマネージャーの筈)にもあるのです。彼には、外注業者を選ぶ責任、成功裏に終わるように導く責任があるのです。

このことは、リーダー、またはマネージャーの立場でない人が、外注の窓口をやってはならないということになります。SEI の CMM(Capability Maturity Model) では、これを「Subcontract Manager」と位置づけていて、それ相当の責任を課せられています。

ちなみに、プロジェクト・マネージャーは、当該プロジェクトの製品そのものを、約束した仕様で、予定通りに仕上げる事にたいして全ての責任を負います。したがって、その約束を外してしまうような危険に対しては、素早く察知し、対策を講じなければなりません。最後になって、出荷予定日を遅らせるしかないという、選択肢がない状態まで放置しては、当然責任を問われます。したがって、「責任」を問われないように状況の把握やマイルストーンの確認を、自分の責任として行うのです。

建前では、このような「責任」の所在は、理解されているはずですが、それでも、実際に責任を云々されることは殆どありません。
なぜ、現実問題としてこの責任を問えないのか。

その一つの原因は、必要な「権限」が与えられていないことにあります。

例えば、プロジェクト・マネージャーには、そのプロジェクトを予定通りに実現させるために必要な「権限」も与えられていなければなりません。人を調達する権限、必要なツールを購入する権限、仕様を変更する権限、さらにはメンバーを教育するために必要な権限などが、適当な資金と一緒に与えられていなければなりません。

もちろん、予算(予定コスト)の範囲内で実現させることが条件ですが、それでも、自由に判断し、支出を決定できる「権限」が明確になっていることが必要です。これが曖昧なとき、予定を外しそうな要因に気付いても、本当に避けることが出来ない状態になるまで行動が起こされないのです。そして、いよいよどうにもならないという状態になって、問題を持ちだし、関係者に招集が掛けられるのです。

つまり、そのマネージャーには、「役割」と「責任」しか与えられていないため、彼はぎりぎりまで「努力」するしかないのです。

人の調達も、ツールの購入も、外注への依頼も、限度つきとは言え、当人の裁量に任された範囲がなければ、彼は精一杯、体で「努力」するしかないでしょう。そうなると、分担範囲は狭い方がいいことになります。そのけっか、責任範囲の狭いマネージャーを沢山作りだすことになります。

マネージャーに、「権限」を与えないで「役割」と「責任」を求めても、それは最初から「出来ない言い訳」の小槌を彼のポケットに入れたようなものです。出来ることに自ずと限界があります。そして、そのような状況に慣れてしまうことで、最初から出来ない理由を考え付くようになるのです。

よく「実現不可能」と分かっている(?)作業を進めていることがありますが、そのような場合も、最後の時点で言う「言い訳」を最初の頃に既に手の中に握りしめながら仕事をしていることが多いのです。当然、「失敗すると思うプロジェクトは失敗する」というマーフィーの法則に見事には陥ってしまいます。

このような状況に陥った組織では、同じような責任ある立場の人たちも、自己の責任を全うするために、互いの責任を全うすることを強く求めなくなります。相手の「立場」がわが身のごとく身に染みて分かるのでしょう。そして、厄介なことに、そのように相手に対して「自己の責任」を全うするように求めることは、この国の組織においては時には“敵対行為”“裏切り行為”となってしまうのです。

これは最近では官僚組織の問題として取り上げられている、「先輩の決定を覆せない」という風潮と通じるものがあります。しかしながら、このような風潮が改善されない限り、則ち、自己の責任を全うするために、相手にも責任を全うすることを求めるという行為が、全く正当な要求であることが広く認識される状況にならない限り、この国では効率的な組織の行動は望めないかも知れません。

いずれにしろ、マネージャーに対して正しく3つの要素を明確にしないと、組織は円滑に機能しないし、一人のマネージャーの役割も狭まってしまうでしょう。それは、間違いなく組織の経営体質を弱めることになるでしょう。もちろん、3つの要素を明確にすれば、全ての問題は解決するわけではありません。それでも、その問題を放置したままでは、「責任」の問題は何時までも曖昧なままになり、事態は改善されないでしょう。

そしてこのような組織からは、将来、会社を背負うようなマネージャーは生まれてこないでしょう。


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