今年も年明け早々、各所で厳しい内容の「年頭のことば」が披露されています。なかには「破局」という言葉も聞かれます。おそらくその認識は間違っていないと思います。
しかしながらこのような「年頭のことば」には、具体的な取り組みについて触れられることはありません。それはそれで構わないのですが、組織のなかに於いては、どこかで具体的な取り組みに変換されなければなりません。そして実際に開発に携わる人達の行動や、開発方法、作業手順などが変化しなければなりません。さらに、結果としてそこにいる人達の意識が変わり、生産性や品質、開発期間などの形に現われてこなければなりません。
残念ながら、「年頭のことば」は、組織のなかで吸取紙にでも吸われたかのように、何処かに消えてしまいます。
ソフトウェア開発にあっても、リワークを無くさなければならないことは分かっているはずです。その為には詳細なスケジュール管理が効果的なことは分かっているはずです。設計書を手抜きして、まともなソフトが出来上がるはずはないことは分かっているはずです。ピア・レビューを実施すれば品質は格段に向上するだろうということも気付いています。そして、「クリーンルーム手法」という開発手法が広がりを見せていることも知っているし、その手法を修得するには、現状の「プロセス・レベル」では実現しないことも感じています。
「やらなければならないこと」はみんな分かっているのです。にも関わらず実際には、その殆どに手を付けられていないのです。
政府の施策も、行政の仕組みを簡素化し、新規参入を妨げている規制を排除しなければならないことは分かっているはずです。これ以上財政を圧迫しようものなら、「徳政令」を出さなければならなくなる事も分かっています。株が何故下がり、円が何故に売られるのかも分かっているはずです。健康保険も年金も今のままでは破綻することは分かっている。
つまり、ここでも「やらなければならないこと」はみんな分かっているのです。にもかかわらず、すべてが先送りにされてしまう。
世界が「ISO 14000 」の精神に沿って、地球環境を壊さない方向に向かっています。ベンツのTVコマーシャルでは、車をばらして“再利用性”を訴えているというのに、ヨーロッパでは国全体でエネルギーの消費を減らしながら、今まで以上の経済活動を確保する方向に取り組んでいるというのに、スイスのヨーグルトメーカーは容器をガラスビンにして80%の回収率を確保しているというのに、日本のスーパーでは、手間がかかるといってその商品を置くことを嫌がっている。
国民一人ひとりがやらなければならないことは分かっているのに、一人ひとりの行動は未だ変わってこない。
「国民全体の質が、その国の政治の質を決定する」という言葉があります。その意味では見事な卓見です。
だが、そんなことを言っておれない筈です。特に、経済がグローバル化された結果、それぞれの国の経済力は、その時点で「相対的に」強いか弱いかで評価が変わってしまう。日本が提供できることであっても、それより先に他の国が提供してしまえば、それを越えない限り役割はなくなってしまう。
何故に、「分かっていることが」やれないのか。
その直接の理由は、組織のなかの各々の人が「今」の仕事に100%費やしているからです。企業のトップの方で号令を発しても、現場の責任者にとっては、“目の前の仕事が月末までに何としても仕上げなければならない”という状況にあるのです。しかも、そのプロジェクトは既に1ヵ月も遅れているとあっては、「号令」の実現化など考えている余裕などないでしょう。
じゃ、その後で取り組めるのかというと、既に着手が1ヵ月も遅れているプロジェクトがそこにあるのです。こうして作業が遅れている限り、やらなければいけないことは分かっていても、そのことに取り組めない状態が続くことになるのです。しかも、現状との乖離は益々開くことになり、着手の手段を全く失う危険すら出てきます。
「今」の仕事に100%投入すればするほど、「今」の仕事が遅れていくことに気付いて欲しいのです。100%投入しなければならないということは、既に完成の見込みがないか、危険な状態にあることを意味しています。そこに必要なのは何とかしようという工夫であり、新しい発想なのです。その発想は、「今」作業に100%投入している状況からは出てきません。新しい発想は新しい接触の中から生まれてくるものです。
「啓発」という言葉があります。日本では「自己啓発」という使い方をしていますが、語源は論語の中の『憤せずんば啓せず、誹せずんば発せず』からとったもので、本来、「自己」による啓発はあり得ないのです。つまり、書物や人などとの接触の中から“啓発される”ものなのです。持ち時間を「今」の仕事に100%投入してしまっている人に必要なのは、強引にでも“啓発される”時間をとることなのです。ある意味では「勇気」が要る事かもしれませんが、そうでない限り、仕事はますます遅れていくはずです。
もしかすると、この国の「国民性」でもある“横並び”の意識、“出る杭は打たれる”という意識が災いしているのか。“失敗を恐れる”という意識は“横並び”の意識と表裏の関係にあります。確かに“横並び”の意識は、60年代の高度成長の時代には「プラス」に作用しましたが、今の時代には明らかに「マイナス」に作用します。この点に付いては別の項(評価のシステムを見直す)でも触れていますのでそちらを参照してください。
何れにしても大事なことは「今」の仕事を遅らせないことです。そして遅れる最大の理由は、不用意にリワークを重ねているからなのです。
そのような組織にあっては、今こそプロセス・レベルを「1」から「2」に引き上げる取り組みが必要なのです。少なくともプロセス・レベルを「2」引き上げない限り、「やらなければならないこと」の何一つも取り組めないでしょう。たとえ、プロジェクトの途中であっても、次のプロジェクトからでは遅すぎるでしょう。