これも、マネージャーの重要な役割です。その企業の組織形態や、その中での位置によっても若干異なるかもしれませんが、それでもマネージャーの働きかけがなくては実現しないことには違いはないでしょう。
評価には2種類あります。
契約に対する評価と、
“取り組み”のような契約の性質をもたない行為に対する評価
です。一般に組織に属している場合、契約の性質を帯びた仕事と、契約の性質をもたない取り組みが存在します。
“そのプロジェクトを何時までに仕上げる”というのは契約ですが、それをどのようにして実現するかということについては、通常は契約の範囲には含まれていません。もっとも、今までのやり方ではとてもその期間で実現しそうもないような契約の場合は、その実現方法もある程度は契約の範疇に入るかもしれませんが、実際には、明確に意識されていないために、約束に間に合わないという結果になることが殆どでしょう。
以下では、組織内における取り組みに対する評価の在り方について、私の考えを並べて見たいと思います。
他の項でも触れましたが、残念ながらこの国は一般的には「減点主義」で評価が行われています。人と違うことよりも、人と同じであることに重点が置かれるのもそこに起因すると考えられます。そのため何か新しいことをやって失敗するよりは、特に目立ったことをせずに失敗しないことに意識が向いてしまいます。
この問題は、よく「独創性」というキーワードを使って議論されますが、私にいわせれば、独創性を阻害しているのが、この減点主義です。
他の職種ならまだしも、変化の激しいこの分野にあっては、この姿勢は組織にとって致命的です。したがって、何か新しい取り組みそのものを評価する方向に向ける必要があります。
品質を向上させるための取り組み。
仕事が約束できるための取り組み。
組織内で技術の交流を促進するための取り組み。
この他、プロセスのレベルを改善する方向に向かうような取り組みは沢山あります。それを考え出すことも評価に値します。その為にはそれなりの文献を読んだり、仕事の合間を縫って「方法」を考えたりしたのですから。
減点主義がこの国の風土の可能性もあるだけに、ちょっと方針を打ち出したぐらいで実現するとは思われませんが、それでも、会社という一つの閉じた社会のなかで、外とは違う風土を作ることは可能なはずで、実際にそのような風土を作っている組織も耳にします。
この時に大事なことは最初から結果を求めないことです。減点主義のわが国ではこれは易しいことではないかもしれません。
最近、GEのジャック・ウェルチが来日した際のインタビューで、「シックス・シグマ運動をスタートさせた狙いは?」との質問に対して、「我々は過去15年間・・・ワークアウトに始まり、バウンダリレス、・・・意思決定のスピードを上げ・・アイデアを独占する人よりも広げた人を評価する文化も作り上げた。これからはこうしたやり方や価値観のもとで実際、どう仕事をするのかに挑戦する」と答えている。さらにインタビュアの「欠陥率を下げて経費を削減し、経営コストを下げることが目的ではないのか」という突っ込みに対して、「数字は結果に過ぎない、我々はドルを目標にしたことは一度もない。利益はこのプロジェクトが成功すればついてくる。大事なことは社員の気持ちに“品質”を植え付けることだ」と答えています。経営者ですから間違いなくドルは頭の中にあるはずです。でも大事なことはそれを達成するためのシナリオを描くことであり、そこに繋がる実現性の高い具体的な取り組みなのです。
プロセスの改善についてのいろんな取り組みに対して、その狙いと取り組みの方法はしっかりと問う必要はありますが、最初から結果を問えば誰も動かなくなってしまいます。タダでさえ、この国の人達は生まれたときから「減点主義」の環境で育ってきているのです。その感覚が身体に染み着いているのですから。イソギンチャクの様に直ちに殻の中に籠ってしまいます。
一般に表彰は、ある結果を出したことで行われます。しかしながら、たとえ表彰の選考基準の過半が結果に向けられていたとしても、表面的にはその意識と取り組みに対して行われるべきです。
実際、結果と過程(プロセス)は表裏一体です。良い結果は良い過程(プロセス)から生まれるはずです。勿論、幸運のようなものもあるかもしれませんが、結果だけで評価されれば間違った評価がなされる危険があります。
バブルの時代に、ある銀行員が高成績を上げて表彰されました。しかしながら、それは本人の取り組みというより、偶然に顧客の方から現われてきたという方が正しかったのです。つまり、その成績は一時的なものであったにも関わらず、結果としての数字だけで表彰されてしまったために、逆に彼は苦境に陥ります。しかも、幸運を運んでくれたはずの客が、実はある魂胆をもって彼に近づいたのですが、藁をも掴む思いから、彼は深みにはまっていくのです。いま、その人はたしか服役中のはずです。
幸いにも、ソフトウェア開発の世界に、このような「幸運?」は殆ど存在しませんが、それでも、結果そのもので評価されると、間違った行動に出てしまう危険があります。やはり、素晴しい結果を生み出した行為や過程に対して評価して欲しいものです。