この国の組織の大きな欠陥は、そこに居る「個人」のスキルが、組織やチームのスキルになっていないことです。折角Aさんが貴重な体験をしても、Bさんが苦い体験をしても、それらは全て本人だけの財産に留まっているのです。
今までと違った作業の進め方に挑戦した結果、完璧とは行かないまでも、十分効果が認められる結果を得たとき、それはそこに居る人たちにも分けるべきなのです。そしてチームや組織のスキルを引き上げるべきなのです。
チームや組織のスキルは、そこに居る人たちにとってのいわば「文化」水準でもあり、それによって新しい提案や工夫は、その上に組み上げられるのです。
残念ながら現実の組織においてこのような取り組みが行なわれていません。そこでは個人の体験や修得したスキルは、その個人に留まったままであるため、新たな提案は元のレベルから為されることになり、何時まで経っても期待するレベルには達しません。何年経っても同じような提案しか出てこないのです。
失敗の経験も、同じようにチームや組織のスキルに転化すべきなのですが、この方もやはり個人の域に留まってしまうため、組織として同じような失敗を何度も繰り返してしまうのです。
その失敗は1年前にCさんが経験しているにもかかわらず、Cさんが他のチームに回ってしまったため、後を受け継いだDさんが再び同じ失敗をやってしまうのです。スキルの組織への転化を行っていない組織では、この問題は同時進行で進められているプロジェクト間で確実に発生することになります。
これはもう「ロス」以外の何ものでもありません。時代の要請を考えれば、何時までもこのような事が許される状況ではありません。速やかに個人のスキルをチームや組織のスキルに転化する仕組みや制度を設け、そのような事の必要性を認識してもらう必要があります。
ただ、この問題は日本の社会に広く蔓延している「減点社会」の影響を受けているため、ちょっと「旗」を振ったぐらいでは実現しないと思われますので、幾つかの複合的取り組みが求められるでしょう。
先ず、組織の評価基準を「加点主義」に転じる事が必要です。満足の行くような結果でなくても、少しでも前進すれば評価することです。もちろん、その際に、取り組みの過程を振り返って反省することは当然ですが、期日との開きが小さくなったり、要求の盛り込みモレが大きく改善されたり、不具合の件数が改善されるような結果の背景には、それ相当の取り組みがあったはずであり、それは間違いなく評価に値することの筈です。
そしてこのとき、チームや組織の中で、自分たちの取り組みを発表することです。最初は恥ずかしいかも知れませんが、ここを乗り越えないと、何時まで経っても個人のスキルから組織のスキルに転化できません。はっきり言って他に方法はないのです。
少しでも、上手く行ったときは、みんなで拍手するような雰囲気を作って欲しいのです。「減点社会」のこの国では、どうしても“上手く行って当たり前”という評価が為されがちですが、そのような考え方を覆して、積極的に讚えるべきなのです。そして、自分たちも称賛されたいという気持ちを起こさせることが重要なのです。
いつまでもこのことに躊躇していては、組織は何も変わりません。それは、組織の停滞、あるいは衰退を意味することを認識して欲しいのです。