日本でベンチャーが育たない理由

 
 1年前、異常なまでに持ち上げられていたネット関連の株が、一気に崩壊して既に半年を過ぎたが、その後自律反発の動きも見せてこない。これまでの証券市場のルールでは、上場に時間がかかるというので、新しい証券市場を創設したが、もともとその背後には、日本経済の将来の姿を描いているわけではなく、低迷していた証券会社のビジネスチャンスを増やす狙いがあった。東証も大証も、今のままでは先細りすることは見えている。特に、銀行系の証券(子)会社にとっては、新しい市場が欲しかった。その分、上場の審査は甘くなったことは想像できる。新しく参加してきた個人株主には実態を知らせずに囃し立て、売買によって自らの業績を上げるのに利用した姿勢も見え隠れする。こうして、自らベンチャー企業育成の「芽」を摘み取ってしまった。一部の証券会社が自己売買できる仕組みを持っているかぎり、日本においてまともな証券市場は育たないだろう。

 これとは別に、日本でベンチャーが育たないもう一つの理由がある。それは、企業側に解雇の自由が無いことである。労働者には企業を選択する自由は与えられている。だから、自分の都合で辞めることは出来る。だが、企業側には、その自由はない。もちろん、この種の「自由」には節度という「ルール」が必要である。自分の都合で辞める自由があるからと言って、突然「今日で辞めます」は許されない。同じように、「明日から来ないでよい」というのも認められない。

 法律では、1ヶ月前に通告し、適切な金銭的保証があれば解雇できることになっているが、この法律は、判例で厳しく使用制限されている。たしか高度成長時代の判例で、政府の意向も「全員雇用」を旗印にしていた時代の判例である。当時は、就職するということが、その組織に生活を捧げると言う意識が強かったのだろう。そういう時代に解雇の不安を取り除きたいという意向が働いたものと思われる。

 だが、この判例が、90年代に入って、企業が方向転換しなければならなくなったときに、大きな障害となってしまった。以前と違って、労働コストが為替で吸収できなくなったのと、従業員の評価システムを導入して生産性を上げる必要が生じてきたにもかかわらず、企業に出来るのは「配置転換」だけであった。それまでも、製造現場の生産性の向上に伴って、余剰人員はいわゆる間接部門に配置転換されてきた。その分、間接部門の生産性が損なわれた形になっている。この手法は、今でも使われているが、本当の問題は解消しない。90年代に入って、「IT機器」が普及してきたにも関わらず、間接部門の生産性が上がらないのは、そこで生じる余剰人員を持っていくところがないことも原因と考えられる。日本の「QC活動」が行き詰まったのも、生産性の向上によって生じた余剰人員の扱いの問題を解決できなかったことがあるものと思われる。

 問題の判例は80年代に解決すべきであったにも関わらず先送りしてきた。日本の裁判が遅々として進まないと言う現状も、そこに作用したかもしれない。最近になって、ようやくこの判例を見直す動きが出てきたが、その動きも、例に漏れず遅すぎる。これが取り払われないと、適切な雇用は発生しないし、雇用の条件となるスキルも不明確なままとなる。その結果は、必要以上にパートや派遣社員に頼ってしまうことになる。それはこれから成長しようという企業にとって決して好ましいことではない。

緊張感の欠如


 解雇の自由が企業に与えられるということで、乱用されるのではないかという不安を抱くかも知れないが、現実問題として、そのような心配はないだろう。適切な手順を踏んでいることを確認する仕組みが働くので、今よりもかえってクリーンになるだろう。現状は、建前だけの判例があるために、強引に「自己都合」に仕向けているのが実態である。そこでは陰湿な対応がなされていることは公然の秘密である。そのため、本来受けることのできる保証も得られなくなる。この判例は、労働者を保護するのが目的だったはずなのに、現実には、労働者の幸福に繋がっていないのである。21世紀の環境においては、解雇の自由を乱用する企業はネット上で公表されるだろから、結果として存続できないだろう。

 企業に解雇の自由がないことのもう一つの問題は、労働者に緊張感がなくなることである。結局、「大きな失敗」をやらないかぎり解雇されることはないのだから、職場も会社に指示されるままに動いておれば良いということになる。そこで、本来求められていることの半分しか達成できていなくても、バグをたくさん出して納期が遅れても、耐え忍べば済んでしまう。プロジェクトを上手く進行させることが出来なくても、多くの場合、何が本当の原因だったのか分からないだろう。もちろん、当事者は、自分の持ち時間のほとんどすべてを投入して努力しているだろうし、家庭なども犠牲にしているかもしれない。だから解雇されない。

 多くの人は、最近の日本の企業や組織がおかしくなったことに気づいている。つまんないミスで商品の回収に走るかと思えば、いままでなら作れたと思えるシステムが、バグが取れずにもたついている。病院は命がけで入院しなくてはならなくなった。消毒液を点滴していることに気づかない。自分の役割もよく分からないまま仕事をしているようだ。雇用の緊張感が欠けているように思えてならない。

 プロセス改善に対する取り組みが進まないのも、それに取り組まなくても解雇されないという思いが何処かにある。「次」はもっと困難になるのに、その付けは、結局、顧客に回すことになるのに関わらず、先送りしてしまう。もっと、生産性が上がる方法が研究されないのも、その行為が、特に評価される分けではない、という思いが何処かにある。マネージャーのレベルから、このことが求められていない状況では、現場の取り組みは不十分になることは避けられない。

 一人ひとりに、その能力がないとは思えない。もっとも、長らく埃が被ってしまったかも知れないが、その気になれば、埃は払われるし、目標さえ明確になれば、日本社会の強みが機能し始めるはずだ。

エンジェルは居るが

 ベンチャー企業の育成にとって欠かせないもう一つの要素は、リスクマネーが流通するかどうかである。今回のネットバブルの動きを見ても、リスクマネーは確実に存在することは見えた。いまのところ、「郵便局」という超安全なところに多くの資金は逃げ込んでいるが、この中からも、状況をみてリスクマネーに振り向けられる資金は出てくるだろう。

 ただ問題なのは、日本の税制がこのようなエンジェルを想定していないことである。長く「銀行中心」で産業の育成を進めてきたこともあって、いろいろな仕組みが個人の「エンジェル」を育成するようになっていない。投資に伴う損失の扱いが、依然として企業会計中心なのである。源泉徴収制度も、逆に二度手間となってしまう。この辺のシステムが変わらないと、エンジェルは育たないことになる。

 少なくとも、不良債権を抱えたままの金融機関や企業にとって、リスクの大きいベンチャー企業への投資は二の足を踏まざるを得ない。確かに、戦後の再生にとって、銀行や企業の投資は大きく貢献したが、それに依存しすぎたことが、今日の停滞を招いてしまった。これだけの超低金利でも、資金需要が発生しないという現実を、経済学者はどう説明するのか。今、リスクを取れるのは、企業ではなく個人である。その個人のリスクマネーを動きやすくすることが、日本の再生に大きく貢献するはずである。

 ベンチャーが育たない原因は、これだけではないことは分かっている。だが、私の立場から見ても、この二つは大きな障害に見えている。日本が再生する過程では、何らかの方法でこれらは取り除かれるだろう。そのような変化が起きる前に準備しておくことが大事である。



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