課長よ現場に戻ろう

 

 中小企業は、相変わらず厳しい状況であるが、”緩やかな回復基調”のおかげで、大手企業のリストラが一服している感がある。それでも、この10年間で多くの中間管理職が職を失った。彼らの多くは、雇用のミスマッチ状態の中で、次の仕事が見つからない。そのため、失業率が高止まりしている。失業率を高止まりさせているもう一つの極として、20台前半の若者の失業率も6%を越えており、この方も、なかなか解消する見通しがつかない。即戦力を求める動きの中で、若い人が仕事に就くチャンスを得にくい状態にある。幸いにも、若い人たちは「パラサイト・シングル」現象によってかろうじて救われている。だが、20年以上仕事をしてきた人たちが、次の仕事に就けないのは問題が大きい。なぜ、こうなってしまったのか。

    明確な技術を持っているか?

 その最大の問題は、中間管理職と言える人たちは、明確なマネージメントの技術を持っているとは限らないことにある。確かにその職場において「管理職」を勤めてきたが、そうかといって、いったい何ができるのかと問われたときに、返事に窮するのが現実ではないだろうか。職を失った人が人材バンクに登録する際に、特筆する能力欄に「管理職」としか書けない人が多いと言われているが、それでは、雇用のミスマッチは解消しない。
 たとえばソフトウェアの関係であれば、リスクマネージメントに長けているとか、法令も含めた外注管理に詳しく、スムーズな活躍を引きだせるとか、企画を現実にまとめることができるとか、特許の取り方に詳しいとか、プロセスへの展開が上手でソフトウェアの開発プロジェクトを成功裏に導く技術をいくつか持っているとか。あるいは、ISO−9000 の導入を進めることができるとか、CMMやSPICEのアセッサーの資格を持っているとか、シックスシグマのブラックベルトの資格を持っているとか。もちろん、特定の業務知識に長けていることもお勧めです。

 残念ながら、我が国は、戦後の復興に際して、人を企業内に封じ込めることを基本としてきた。それは、人材の流動化に起因する混乱を未然に防ぐ効果があったし、ある意味では企業における再教育のコストを省いてくれた、だが、その代償として、その組織にしか通用しない人材?を作り出してしまった。また人材の固定化は、その能力に因ることなく人件費の高等を招いてしまい、国際的に競争力を失ってしまった。製品が国境を越え、資本が国境を越え、次は人が国境を越えるということが分かっていたのに、なんら対応されなかったのである。
 結局、そのことが、90年のバブル崩壊を契機に過剰雇用が表面化し、雇用のミスマッチを生み出した。国境を越えて人材が流動化するなかで、人材の封じ込め策が通用しなくなったものの、そこに居た人たちは、役に立たない状態となって、放り出されてしまった。自分勝手といえばそれまでである。
 確かに、そこで「管理職」を20年やって来たかも知れないが、彼らは、外の世界に通用する管理職を全うするための技術を手に入れることを怠った。ソフトウェアの開発組織でいえば、35歳で混乱の現場から開放され、主任や課長という形で「管理職」のエスカレータに乗せられる。中には、これで泥沼から抜けられると歓迎する人も居ただろうし、逆に、もっと現場でソフトの開発に携わっていたいのにと思う人も少なくないだろう。だが、基本給は「管理職」にならないと上がっていかないとなれば、それを受け入れるしかないかもしれない。

 問題は、このとき、彼らには今後一層厳しく激動するソフトウェア開発に於て必要になる「マネージメント技術」を身に付けていないということである。我が国では、多くの組織にあって、そのようなものは、仕事を続けながら身に付けることになっている。少なくとも、これまではそうしてきた。
 言うまでもなく、そのような方法が適切なのではない。正確に言うと、それで間に合ってきただけである。それが今日では間に合わなくなってきた。求められる技術が変わって来ているのに、新入社員へのソフトウェア技術の研修内容はほとんど変わっていないし、前場の最前線で開発に携わる人たちも、時間に追われていて、新しい技術の習得を怠ったままである。その他、現場での取り組み方や、他部門との調整方法も、なんら変えてこなかった。特に、ソフトと違ってメカや回路の組織は、今までうまくやって来たという自負があるようで、なかなか取り組み方が変化しない。
 そのため、過去の管理者では予想もできないリスクがそこに発生している。だがリスクマネージメントの知識が不足しているため、適切な対応ができずに開発を失敗に導いてしまうのである。また、そこで「プロセスの技術」を持たないため、失敗したプロジェクトから、成功したプロセスと失敗したプロセスを抽出できず、すぐに手詰まりとなってしまう。

     単なる部長の補佐でいいのか?

 もう一つの問題は、中間管理職の人たちの中には、まるで部長の秘書であるかのような行動をとっていることも少なくないことである。確かに、部長だって一人では仕事は進まないだろう。だが、業務上で手伝いが必要なら、それにふさわしいスタッフをそろえればよい。中間管理職は、明確な役割と責任がある存在である。彼らも、ちゃんとした「リーダー」として、組織(チーム)をリードしなければならないし、自分のプロジェクトを成功に導く責任がある。課長も、自分のプロジェクトをリードし、マネージするために、必要なスタッフを確保すればよい。プロジェクトのデータを処理し、そこからマネージメントの情報を抽出するぐらいだと、1人ぐらい居ればで足りるだろう。
 課長は、場合によっては外注管理を担当してもよい。外注管理は、契約という法規も絡んでくるので、決して易しいことではない。にもかかわらず、多くのソフトウェアの開発現場では、契約の締結そのものは別としても、その後のほとんどのことを1担当者に任せっきりである。自社のメンバーすら管理したこともない若い人に、外注を管理させているのが現実である。具体的な依頼作業の説明などは担当者が行うしかないが、その内容の適切さの判断を含めて、しっかりしたマネージャーが関ることが必要です。日本国内の業者であれば、何とか先方が配慮してくれることもあるだろうが、海外のソフト会社に依頼した作業の目標達成率が極端に悪いのは、このような体制にも原因があると考えられる。
 また、プロジェクトのリスク管理を担当することも悪くないでしょう。ソフトウェア開発そのものに関るリスクは、個々のチームのリーダーが分担するとして、プロジェクトそのものの成功に関ることは、そのプロジェクト全体に責任を持つ人が担うのが適切です。それによって、複数のチーム間の作業のミスマッチを検知したり、それぞれで生じている問題を素早く集めることもできるでしょう。
 優れた開発の実績を持っているのなら、プロセス技術を勉強させ、CMMなどのリードアセッサーに挑戦させるのもいいだろう。もちろん、その中にはリスク管理や外注管理も必要になるが、非常に強力なスキルが手に入る。

     役割と責任を明確にしよう

 そもそも課長とか部長とか主任とかいう呼称は、少なくとも、ソフトウェア開発の組織にはそぐわない。それは、単なる組織上の呼称であって、仕事の呼称ではない。第一、そこからは役割と責任が見えない。組織全体に責任をもつシニアマネージャーなのか、1つのプロジェクトの企画から生産までを含めた全体に責任を負うプロジェクトマネージャーなのか、ソフトウェアのアーキテクチャに責任を持つソフトウェアマネージャーなのか、ソフトの外注を含めた外部の業者との関係を任された外注マネージャなのか、その時々の問題に対応した開発方法を考えだすプロセスマネージャーなのか、リスクの側面からプロジェクトにサジェスチョンをするリスクの専門家なのか、はっきりさせることが第一である。それによって、専門のスキルが明らかになる。

 もちろん、開発の現場にいる人たちの役割と責任も明確にすることの重要性は言うまでもないが、それ以上に、マネージメントの役割と責任を明確にすることは重要である。にもかかわらず、我が国では、この点があいまいなままでやって来た。グローバル化が叫ばれる中でも、ここに手を付ける組織はほとんどいない。マネージメントの役割と責任が不明確な状態が、会議の多さにも現れていると言えるし、その会議での決定の方法が曖昧なのも、同じ原因に根差していると考えている。会議の場でみんなで決めようというのは、リーダーシップが欠落していることの結果でもあり、その後の追跡が為されないのも、責任者と責任範囲が曖昧だからである。21世紀に求められているマネージャーというのは、まさに、この点に於て答えの出せる人なのである。その何れをも手に入れないままでは、21世紀を迎えて、出番を求めることは困難なことは言うまでもないし、いったん職を失ったあとは、雇用のミスマッチの渦の中から抜け出すことは難しい。

     この先20年近い時間がある

 組織によっては、40歳前後で課長の職に就くことは珍しくない。特に、ソフトウェアの開発に関係する組織では、どちらかというと早い段階でその職に就くことがある。そうなると、定年の延長も考えられるので、この先20年以上の時間があることになるが、いったい、どのようにして、今後の「管理職」の役割を全うするつもりだろうか。先輩の「形」をまねて、いままで通りで行くことは、とても難しいと思われる。その方向では、過去10年の間に多くの中間管理職が職を失ったばかりである。彼らの多くは、これまで会社のために頑張ってきたのに、という不満を持っている。彼らは確かに、会社の方針、いや日本の国の方針の犠牲者かもしれないが、そんなことを言っても始まらない。それよりも、先人の轍を踏まないことだ。
 今なら、まだ間に合う。中途半端な中間管理職の服を脱ぎ捨てて、現場に戻ろうではないか。現場に戻って、確実にマネージメントのスキルを習得しよう。リスク管理とか、外注管理とか、プロセス管理とか、テーマを決めて、文献などで勉強したり、セミナーを受けたりして現場に入って必要なスキルを身に付けよう。
 今乗っている中間管理職のレールは、いわゆる定年まで続いていないことに、早く気づくべきだ。組織も、中間管理職の将来を真剣に考えるべきである。そして、現場に戻して確実にマネージメントのスキルを習得させるべきである。そのことが、むしろ組織の競争力に貢献するだろうし、第一、社会にとっても負担が減ることになる。

 マネージメントに関するスキルは、高齢であっても活躍の場を得ることができるスキルである。いや、経験というものが加味される程、威力を発揮するスキルである。60歳ぐらいで簡単に定年でリタイアされては、日本の社会が持たないではないか。一人でも、多くの中間管理職が、必要なスキルを身に付けて、長く活躍することが大事である。そのとき、中間管理職という呼称は、消えているかもしれない。



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