最近、ある新聞のコラムに、人材バンクを訪れた中年の人との面接の場面の一部が紹介されていました。その中に、何が得意ですか、という質問に対して「管理職です」と答えて失笑をかった、という下りがあります。この人は、大手の素材メーカーの人らしく、10年前なら多少、給料が下がることさえ納得すれば、「管理職です」で転職先は見つかったでしょう。だが、今ではそれは通用しないようです。
今日では、管理職であっても専門分野を明確に持っていなければ通用しないようです。つまり「管理職」に求められているものが明らかに変わっているということです。「金融ビッグバン」を機に、海外の企業との競争が激しくなることが予想され、そうなると更に高い専門性と守備範囲の広さが要求されるでしょう。
組織の階層の中間にいて、相変わらず部下の尻を叩くことと「上意下達」を仕事と思っている人、必要な情報は部下から上がってくるものと思っている人、方針や判断は組織の「総意」で決めると思っている人、客先の接待が自分の仕事だと思っている人、自分の所轄内で発生する問題の解決方法を持たない人、つまり、たとえ「管理職」であっても、「あなたは何が出来ますか?」と尋ねられて、明確に答えられない人は要注意です。
ソフトウェアの世界で言えば、「ソフトウェア・プロセスに精通している」とか、「品質管理に精通している」とか、新しいビジネスを立ち上げる能力、といったものを持ちあわせていないと、「管理職」としては通用しないでしょう。オブジェクト指向などの分析・設計手法に精通しているとか、見積もりの技術を持っているとか、通信プロトコルに精通しているとか、インターネットに詳しいというだけでは、シニア・エンジニアとしては通用するでしょうが、いわゆる「管理職」としては不足です。それらの技術の上に、さらに状述したような「全体」に関わる専門技術を身に付けておく必要があるでしょう。逆にいえば、分析設計手法やインターネットの技術など、「部分」の技術がしっかり身についていれば、「全体」に関る技術の修得も進むはずです。
現在所属する組織が求めるままの役割をこなすしているだけでは、「キャリア」として世の中に通用しない可能性があります。特に、その組織のプロセス・レベルが低い状態では、そこに存在する「役割」はどこにも通用しない危険が高いと思って下さい。例えば、500Kb程度の組み込みシステムの開発に10人ものソフトウェア・エンジニアを投入するようなやり方や、6ヶ月の開発期間を50%も遅れるような作業のやり方を世の中は求めていません。そのようなやり方の中に存在する「役割」を身に付けても、どこにも通用しないし、そのような状態から、たとえ50万円のツールを使ってでも3〜4人で開発したり、遅れを3%以内に抑える体制に移行できない「管理者」もまた、どこからも求められてはいません。非常に厳しい表現ですがそれが現実です。
この現実から目を逸らしても何にもなりません。ソフトウェアの開発現場にいる人たちの多くは、管理者も含めて、このことには気付いているものと思われます。私から見ても、そのような組織では、誰も自信を持って仕事をしているように見えません。どこかで、このままでいいのだろうかという不安を感じているように思われます。今の組織の求めるままの「役割」をこなすだけでは自分の明日は見えてこないことは分かっているのです。でも、一体どうすればいいのか、それが分からないのでしょう。どうしていいのか分からなくても、「明日」はやってきて、昨日の延長としての「その日の作業」が求められます。こうして、これでは行けないと思っている作業を今日まで続けてしまってきたというのが現実でしょう。
でも、どんなに忙しくたって、未来に通用する自分を作りだすために、自分の今の「役割」との接点を見つけて、それに関連する文献を探して勉強し、研究するしかありません。今、何を変えたいかということをイメージして、それと接点のある文献を読んだり、人の話を聞いたりして、少しでも変わるための手掛かりを手に入れるしかありません。自分だけでも出来る「箇所」を差がして、そこから取り組んでいくしかありません。此処に踏み込まないかぎり、何処からも求められない存在となってしまいます。
何処からも求められない存在ということは、実は、今いる所からも求められないことを認識する必要があります。技術面や職能面で何処にも行けないということは、そこにも居れないことを意味するのです。現在、静かに進行している中高年のリストラの風は、このような人たちに向かって吹いているのです。
ドラッガーは、その事業を継続するかどうかを判断する方法として、「今から参入するかどうかで判断」する方法を提案していますが、同じ問題が組織の中にも起きるのです。そして、中高年の人たちの上に今も吹き続けているリストラの風の原因はそこにあるのです。かって、どれだけの実績を上げたかが問われているのではありません。
このような状態に陥らないためにも、30代半ばまでに自分のキャリアのビジョンを描いてみることです。逆にいえば、その時点でキャリア・ビジョンが描けるように、幾つかの専門分野を確保しておくことが必要になります。そのまま、シニア・エンジニアの方向に進むにしても、マネージャーの方向に進むにしても、このときに身に付けた専門技術が足場となります。そして、これらの技術の殆どは、レベル1の組織の中での毎日の仕事からは身に付かないことを知るべきです。
21世紀は、今以上に品質とコストと開発期間に強い圧力がかかってきます。それに耐えられるような専門的技術を手に入れないと、エンジニアであれ、マネージャーであれ通用しなくなります。もちろん、それらの技術は変化しますし、新しい効果的な技術も出現しますので、その後もそれらの変化に迅速に対応させなければなりません。今からでも間に合います。専門分野を持たない「管理職」というものは存在しないことを肝に銘じて、どうか「一歩」を踏み出して下さい。
私は、そのような「管理職」の人たちを非難しているわけではありません。皆さんは、今日まで組織の中で求められた「役割」をこなして来られただけです。ただ、残念ながらそれが明日に繋がらない可能性があるのです。誰かの罪という訳ではありません。皆一所懸命にやってきたのです。でもそれが世界の方向とは反れてしまっているのです。
21世紀は、日本が世界から無視されていないかぎり、今までのような「管理者」は求められることはないと思われます。かといってそれまで身に付けてしまった「形」は、簡単には抜けません。相当な意思と行動と継続(仏教の世界で言う、発心、決心、持続心というもの)がなければ叶わないでしょう。でも、まだ間に合います。21世紀に新しい「役割」を見出すためにも、どうか行動を開始して欲しいのです。それ以外に、21世紀に活躍する方法はないでしょう。