今、時代は大きく変わろうとしています。戦後の日本で培われてきた慣習も通用しなくなりました。航空運賃も一部の路線で価格競争が始まりましたし、タクシーも、まもなく自由競争に入ります。
最近の際立った例として、バス会社がこぞって、いったん従業員全員を解雇し、これまでより20%前後低い賃金を定めた新しい協定の下で改めて採用し直すという方法で、高くなりすぎた人件費に対応しようとしています。
これはいったい何を意味するのでしょうか。
これまで日本では、普通の人が“ちゃんと”仕事をすれば誰でも生活が出来る報酬がもらえました。いや、それが当然だと思われてきました。そこでは仕事の種類や価値はあまり問題になりません。ある意味では「平等」だったと言ってもいいでしょう。確かに、個人が移動手段を持たなかった時代にあっては、バスや市電の運転手の価値は高かった。でも今では、その程度の移動手段は個人が持っています。そうなると、そのような運転手の仕事の価値は下がっていくのが自然の成り行きです。でもこの国はそうではなかった。「結果平等」の意識がそれを支えてきたと言ってもいいでしょう。その結果、この国は呆れるほどの高コストの国になってしまったのです。
一つの会社の中にあっても、時給1500円に見合う仕事をしていない人が沢山居ます。それでも、1日中職場にいることで、1ヶ月にして25万円の報酬をもらっています。言い換えれば、企業は「雇用」することによって、従業員の生活を保証してきたのです。そこで支払われる報酬は、必ずしも仕事に見合ったものではなく、生活保障の分も含まれていました。その代わり、所定の時間(通常1日8時間)の拘束が前提となっています。本来、仕事の価値で支払うのなら、半日で終わるべき仕事なのです。当然、それだけでは生活が成り立たないですから、他にも仕事を見つけなければなりません。でも、そのような状態は、全体として避けてきました。沢山の従業員を雇っている会社が「優良企業」という意識も、それを支えてきました。
このように、この国では仕事の種類によって報酬に大きな差を付けないようにしてきたのです。ある意味では、それが80年代までの日本の強さの大元だったのかも知れませんが、ここに来てそれが大きな障害となってしまったのです。専門家ではないので上手く説明できませんが、賃金の上昇や為替レートのバランスなどによってこの障害が表面化してしまったことが、これまでの経済対策が機能しない原因の一つだと考えています。経済が回転しないというか、「市場」が形成されないのです。
でも20世紀の最後になって、ようやくこの国に「仕事の価値」というものが市民権を得ようとしているように感じます。ようやく、価格によって調整される「市場」というものが生まれようとしているのではないかと思っています。そうでないと、21世紀の資本主義経済が廻っていきません。バス会社の動きの中に、ここまで見ようというのは少々無理があるかとも思いますが、私自身、早くそうなって欲しいという気持ちが働いていることは確かです。
こうして、今この国は大きなうねりの中にいることは確かです。各企業も、その進路を見極めて大きく舵を切らなければなりません。実際、時代の変化を察知した企業は、これまでの慣習を振り払うかのようにして舵を切り始めています。ソフト会社も当然、このうねりの外にいるわけには行きません。いや、背専門業者なのですから、その分野にあって産業界の水先案内を買って出るくらいでなければ困るのです。
新卒派遣
日本のソフト会社の多くに共通していることは、自社の抱える要員を、組織として教育していないことです。本来なら、顧客の開発の目的に合わせる形でソウト会社自身がいくつかの開発方法を持っていなければなりません。構造化手法とかオブジェクト指向だとかRADといった「方法」を持っているべきなのです。そして、組織としてはCMMのレベル2とか3で作業を進めることが出来なければなりません。これこそがソフト会社の“セールスポイント”のはずです。ソフト作りが専業なのですから、その作り方に確信を持つのは当然なのです。そして、新しく入ってきた人たちに対しても、まずは自社の開発方法を身に付けてもらうように教育するのが本筋です。
ところが最近は、この業界にも「新卒派遣」という変な形が入ってきています。この業界でも良心的なソフト会社では、自社で新卒採用した人を、6ヶ月程度の通り一遍の教育を施して客先に回すことはやってきました。もちろん、その程度の教育では足りないことは言うまでもありません。だが「新卒派遣」は、その6ヶ月の教育も省いてきます。もともとは、正規社員を抱えたくないという企業のニーズに応えるかたちで人材派遣会社が進めているものですが、すかさずソフト業界にも広がってしまいました。というより、今までは遠慮がちに送り込んでいたものが、逆に「市民権」を得たとでも思っているのか、あるいは、“みんなやっていること”ということか新卒派遣に後ろめたさを感じていないようです。
教育しない理由
残念ながらこのようなソフト会社には、自社の要員を教育する方法を持っていませんし、なかには、最初からその気も無い業者がいます。その理由は、折角教育しても辞めていくからです。でも良く考えてみて欲しいのです。辞めるのは、その組織に「力」がないからです。もし、組織に力(営業力に経営力、業界への影響力、情報や技術の収集力に技術力、そして組織としての魅力など)があって、必要なレベルでの教育が行われているのであれば、そこを辞める方が不利になります。その組織に属して仕事をした方が、いい結果を残せるし、収入も安定するでしょう。その上、新しい開発方法を習得する機会も確実に手に入るはずです。一定レベルの技術を習得したからといって止める理由にはならないのです。
一旦、このような「力」のある組織になれば、「折角教育しても辞めていく」ということはないのです。いや、逆に教育の機会を得てもそのレベルに達することが出来ない人の方が辞めていくのです。したがって、「せっかく教育しても辞めていくから」というのは、ソフト業界の将来を負うことのない単なる金儲け屋さんの言い訳でしかないことが分かります。そのような言い方が酷だというのなら、従業員としての教育しかしないソフト会社の言い訳と訂正しましょうか。
辞めていく仕組み
組織として統一した教育が行われていないため、設計方法などは、個人に任されることになります。たまたま個人的に勉強した人はそれなりに身に付けていますが、その方法だって、同じ会社の他の人には伝えられていませんから、人が変われば、やり方も変わってしまいます。一つのチームの中でも統一できていないケースだって沢山あります。迷惑な放しです。ただ、発注(依頼)側にも、まともな設計方法を持っていないこともあって、このようなソフト会社の対応を判断できないため、そのまま提案を受け入れているのが現状でしょう。
去年まで居たAさんが良かったと思っても、必ずしも指名できる状態ではありません。それでも指名しようとすれば、ここぞとばかりに値段を上げてくるでしょう。もっとも、Aさんもそれほど高い技術を持っているわけではありません。ただ、そのソフト会社にあっては今回の人との比較上優れているというだけなのです。何も組織として教育していないソフト会社にあっては、そんなに高いレベルのエンジニアを望むことはできません。いないとは言いませんが、ごく稀にしか居ないと言っても過言ではないでしょう。このAさんも、たまたま「今」の段階で比較優位にあるだけで、このあと、高い料金を払ってくれる所に回っていくでしょうし、おそらくそのソフト会社でもいちばん忙し思いをするでしょうから、この先、新しい技術を補う時間を確保することは難しいでしょう。
そのことに気付いたとき、おそらくAさんはそこを辞めることになるのです。
結局、要員の教育に組織的に取り組まないソフト会社では、ある程度以上のレベルをもったエンジニアが辞めていく確率は高くなります。もちろん新しい人が補充されるでしょうが、そのソフト会社は次もこの状態を繰り返すでしょうから、いつまでたっても、レベルの高いソウト会社にはなれない可能性があります。
Y2Kのあと
ところで、そのようなソフト会社でも、今は2000年問題で仕事は飽和状態にあるかも知れませんね。とは言っても、多くの日本のソフト会社では、効率のよいY2K用のソフトを持っているわけではないので、おそらく人海戦術に頼っているのではないでしょうか。今年の始めでも、まだ対応していない中小の企業がたくさんあるということですから、完全にソフト会社の売り手市場になっていると思われます。
いうまでもなくY2Kの仕事は、時間とともに消滅します。2000年中は、やり残したところと、バグの対応で追われるでしょうが、それでも2001年には、もうこの仕事はないでしょう。他にもいくつかカレンダーに関係したソフトの問題があるようですが、Y2K程の規模は持っていないものと思われます。
いずれにしろ、Y2Kの後は、多くのソフト会社は要員の過剰問題に直面します。特に、Y2K用に確保した要員に対しては大きな問題となるでしょう。彼らはもちろんのこと、数年間Y2Kに携わった要員を本来のソフトウェアの開発作業に従事させるには、改めて相当の教育が必要になってきます。しかも、この間、分野によってはオブジェクト指向がかなり行き渡っていますが、Y2Kには、ほとんどオブジェクト指向は出てきませんので、要員の技術ギャップが大きくなっている可能性があります。オブジェクト指向でなくても、全くY2K以外の作業をやったことのない人たちにとっては、「Y2K後」は大きな壁になるでしょう。
ここで、これまで組織的に要員の教育などやって来なかったソフト会社が、今回は例外とばかりに再教育を実施するとは思えないのです。やはり今回も、スキルアップを個人の問題に置き変えるのではないでしょうか。あるいは、またも、客先に要員の教育をさせるつもりではないでしょうか。
情報家電を引っ張れるか?
ソフト会社の要員の過剰を解消する可能性があるのは、この情報家電での波です。ソフトの比重が、これまでの「家電」とは比較にならない大きさを持っています。既にそれを見越したソフト会社が、早々に「メーカー」にアタックを掛けています。これまで、組み込みシステムなど扱ったことの無いソフト会社まで、この波に乗り遅れまいと行動を開始しています。すべてが情報家電というわけには行かないので、とにかくも組み込みシステムの開発に手を付けようと躍起になっているのです。
だが、ビジネス・アプリの世界とリアルタイムを背景にした「組み込み」の世界とでは、技術的にも環境的にも大きな開きが在ります。第一、ソフトが走る「場」そのものも開発品であって、当初はその動作すら安定しません。これはビジネス・アプリの世界の人には意外と扱いにくいはずです。それよりも、もっと心配なのは、まともなスケジュールが書けるソフト会社が極めて少ないことです。もちろんビジネス・アプリにも納期というものがあります。でも、この国では「手を付けたらこっちのもの」というのがソフト業界の常套句ですし、中には「要求分析なんかやらないほうが儲かる」という業者もあります。後で必要になった仕様は、すべて追加料金の対象にできるし、納期遅れの理由に使えます。
此の国では、いったん手を付けたらプロジェクトが途中で中止になることもないし、開発主体が交替させられることも無いのです。中止にならない理由は、公共事業と同じで、“せっかく此処まで資金を投入してきたのだから”というのと、推進者の責任問題が浮上するからです。開発主体の交替も、実際には時間的制約や、判断のタイミングの問題などもあって、発注側にそこまでの選択肢がないために、実際にはほとんどできないのです。当初の予定を2年も遅れていて、それでも完成したという話が聞こえてこないビッグプロジェクトもあります。
もし、ソフト会社が、このような甘い姿勢を持ったまま組み込みシステムの世界に乗り込もうというのなら大きな間違いです。組み込み製品自身、激しい競争にさらされているのです。新しい機能や性能の仕上がりだけでなく、デリバリが1ヶ月遅れることで競争に破れ、すべての計画が台なしになることもあるのです。昔と違って、ソフトもハードもメカも生産技術も、みんなコンカレントに進めなければ競争に勝てない時代です。そんなときに、ソフトがマイルストーンを外すようでは、並行開発は実現しません。また、ようやく製品を出しても、「設計されていない」ことによって使い勝手や品質が悪ければ、たちまち競争相手につけ込む余地を与えることになります。しかも競争相手は世界に存在するし、今や市場は「世界」なのです。もっと怖いのは、インターネットの普及によって、一つの重要なミスがその日のうちに世界を駆け回るということです。情報家電は、まさにそういう世界にあるのです。
これから組み込みシステムの世界に参入しようというソフト会社に、果たしてこの準備が出来ているでしょうか?
いや、もう一歩進んで、このような業界をリードできるでしょうか?
一緒に競争に勝てるような、明日のソフト開発のあり方を提案できますか?
逆に、メーカーの方も、ソフト会社を見極める「眼」を持たなければ、一緒に沈没することになってしまいますよ。