P.F.ドラッガーの『ポスト資本主義社会』という本に、「マネージメント革命」について書かれている部分がある。氏によると、「産業革命」(18世紀中頃〜19世紀中頃)、「生産性革命」(1880年〜1950年)とあって、そのつぎに「マネージメント革命」が1945年から1990年にあったとされている。
その背景は「知識」の発達と変化にある。知識をどうやって生産に結び付けるかという段階から、「知識の知識への適用」の段階に入ったという。今までは知識が直接的に物作りに繋がっていたものが、既存の知識をどのように適用すれば目指す成果を生みだせるかということを知るための知識へと発達した。ドラッガーに言わせれば、これこそがマネージメントだという。
その間に、マネージャーの意味が「部下の仕事に責任を持つ者」から「他の人間の働きに責任を持つ者」へと変化し、今日では「知識の適用と、知識の働きに責任を持つ者」と変化したという。だが、日本では今でもマネージャーといえば「部下の仕事に責任を持つ者」という認識がまかり通っている。つまり「現場監督」的発想から抜けていない。第一、この国では「マネージメント革命」なんて認識されていない。
この国は戦後の復興期にアメリカからいろんなものを学んだ。というより真似てきた。そのとき、既にアメリカはマネージメント革命の真っ最中である。そして、アメリカでいろんなものが発明されてきたのは、マネージメント革命の結果、知識の知識への適用が行なわれた結果でもある。日本はそこから生みだされる製品や成果に注目したのであって、組織のなかで行なわれている知識融合の仕組みや、チームワークやリーダーシップなどの目に見えない部分を見逃した。実はそれこそが「知識の利用技術」でありソフトウェアの神髄でもある。この認識の差が、日本から本当の意味のソフトウェアが出てこない根本的な原因でもある。日本で行なわれるのは、利用技術の表現上での実現だけであって、利用技術そのものの構築は行なわれていない。
アメリカでは既に知識の利用技術としての知識に価値を見出し、それを発揮する役割が一つの職業として認められるようになった。「MBA」の認定制度も職業として独立していることを物語っている。リーダーシップ論や組織論、あるいはチーム・マネージメントなどが盛んに展開されるようになった。そこでは如何にして「知識の利用技術」としての知識を高めるかが競われた。
もうだいぶ前になるが、アメリカのある大学では、4年間のカリキュラムそのものが「チーム」を根底に構成されているという。一般の講義や授業を通じてチームワークやリーダーシップが養成される仕組みである。その間に学生はチームワークを体で覚え、人によって自らのリーダーシップの才能に目覚め、それを伸ばしていくことが出来る。大事なことは「日常」の中で身に付けることが出来ることである。こうして、アメリカでは優れた経営者や企業家を生みだしてきた。
翻って、日本ではこの間、マネージメントは発達していない。戦後の復興期には公職追放によって若い人が代替わりをしたが、彼らはマネージメントを研究する時間的余裕も、そのような発想もなかった。彼らが体験してきた「組織」の姿といえば「軍隊」しかない。政府も「一本化」に協力し、企業の経営を安定させるために労働者の流動化を制限する政策をとった。年功賃金、終身雇用、定年制の他、退職金引当制度などによって、転職すれば不利になるような仕組みを作った。広いグラウンドや体育館などのスポーツ施設などの過剰なまでの福利厚生制度も労働者の囲い込みに効果を発揮した。学校と同じ仕組みをそこに用意したことで、労働者も企業という生活共同体に自らを順応させることに抵抗はなかった。むしろそれを要求した。
実際に、わが国では学校における管理体制と、企業における管理体制には良く似た部分がある。スポーツクラブはそのまま引き継がれたし、寮の制度も同じである。その上、“評価”も同じような発想で行なわれてきた。大手の家電メーカーなどは、まさに総合大学そのままではないか。兎に角そこに入りさえすれば、あとはその中で自分にできることを探せばいいのである。何をしたいかではなく、どこに入るかという発想は、学校を選ぶときの発想と同じである。
このような現実に、本当の意味のマネージメントは必要としない。転職すれば条件が悪くなるのだし、最近でこそ転職雑誌というものができて、転職に負い目は無くなってきたが、それまでは転職の前に失業を伴っており、職安を通じての再就職先探しとなる。そのような選択はまさに「敗北」でもあった。
労働コストがアメリカと肩を並べるようになったのは、1970年から80年台にかけてであって、それまでは、とにかく作ることさえ出来ればアメリカで売ることが出来た。もちろん、アメリカで売るために日本の企業は盛んに研究したが、それと同じようにはマネージメントは研究されなかった。というよりもその必要がなかったのであろう。
したがってそこで行なわれてきたのは「監督」であり「管理」であってマネージメントではなかった。すでに述べたように、アメリカではマネージメントの本質が大きく変化しているにも関わらず、日本では今でも「管理」「監督」という認識のままである。しかも、アメリカでいうマネージメントと相当にずれているにも関わらず、一度も見直されていない。
マネージメントが発達しないために、組織論やリーダーシップ論、心理学なども発達していない。特に心理学については、アメリカではいろんなところに専門家が配置されているにもかかわらず、わが国では殆ど出番がない。本来、人と人が接するところは心理学の出番である。当然企業においてもマネージャーは多くの人と接するわけで、しかもどのようにして目標に到達するかということが問われており、必然的に関係する人たちを「いい状態」に維持するために、動機づけをやったり、アイデアをぶつけてみたり、向上心を刺激したりすることになる。そしてそのようなノウハウがマネージメントとして普及するのであるが、この国ではそこまでやる必要がなかった。
したがって、企業にあって個人の能力開発も進まないし、人事評価も進歩したとは思えない。その証拠に、経営コンサルタントまでも、「人を評価するのは難しい」と公言して憚らない仕末である。これなどは、学校における評価の発想のままの証拠ではないか。そのうえ企業の人事担当者も、これに何ら疑問をもたないで、ありがたく拝領している状態である。そして学校における個人の評価がなかなか公開されないように、企業においても、その評価内容が本人に公開されているところは少ないのである。これは、まさにマネージメントの側から何とかして労働者を適切に評価する方法を考えて欲しいという要請が出ていない証拠である。
わが国においても、人々の考え方が多様化しており、いままでのような画一的な「監督」的発想では人々のエネルギーをまとめることは出来ない。すでにその兆候が中学校を中心に現れている。日本の学校というところは、マネージメントが存在しない典型的な組織である。そこにあるのは、依然として「監督」なのである。選択の世代にあっては「監督」は通用しないにも関わらず、それしか知らない為に強引さが目に余るようになってきた。その結果、どれだけ多くの若者の「意思」が挫けてしまったことか。神戸の事件もまさに、この歪みが表に出たということができる。
さすがにこれ程の強引さは、企業の中では見られないが、それでも、「人をその気にさせて目的を達成する」的発想は見られない。そこにあるのは、相変わらずの「管理」であり「監督」的姿勢である。
団塊の世代のように、ある意味では「画一の世代」に対しては、経済的背景も手伝って、画一的な「管理」「監督」でも通用した。だが今日のように「選択の世代」には、その方法は通じないにもかかわらず、団塊の世代を中心とする管理者世代は依然としてその方法を知ろうとしていない。それでも、今までは選択肢自体がなかったことで結果としては何とか通用したが、来年の外為法の改正を機に、外国資本の企業が“そのまま”の形で日本に進出してきたとき、新たな選択肢がそこに現れることになる。そこでは、“難しい”とされていた人事評価が行われているのである。当然、能力の高い人たちは、そこで自分を試そうとするだろうし、実際に能力を発揮するだろう。そこにはそれを裏付けるマネージメントが存在している筈である。
日本においても、急いでマネージメント革命を研究し、その中から今から間に合うものを取り入れる必要がある。何時までも「日本的」という衝立の中で拘っていては、何も始まらないことを知るべきである。