組織を変化させてほしい

 
 時代は変わる。そして世界における日本の役割も変わる。60年代、70年代の日本が負っていた役割は、今日では、別の国が負うことになる。人が成長するように、国も成長する。成長すれば、担う役割も変わる。アメリカの傘の中で成長した日本は、いつかはアメリカの傘から出て、自分で傘をささなければならない。

 だが一方では、我が国は、内需だけで経済を維持できるわけでもない。経済がグローバル化しようとしまいと、日本は世界に何かを売って財を稼がなければならない。問題は、何を何処に売るかだ。それも、時代とともに変わっていく。分かっていることは、日本でしか作れないものが、そこにどれだけ含まれているかが大事だということだ。いつまでも、同じものを作っているから、「セーフガード」を使ってでも守ろうとすることになる。わずか20年前に、日本は逆の立場に立たされていた。そして相手国に対して「セーフガード」を非難した。その時と同じルールの下で活動しているのだから、こうなることは分かっていたはずなのに、20年間、同じことをやってきた。何も学習していない。誰も変化させなかった。

 日本中が「変化」に対して鈍感だった。いや、変化を不可欠なことと捉えていなかった。国の運営そのものが変化を想定していないため、各種の制度も変化を妨げる方向に作用した。そういう環境の中で、企業の経営者も変化に備えてこなかった。口では変化の必要性を言っていた人も、実際に、そのための準備や対応を怠ってきた。そして、この“変化させない状態”は、ソフトウェアの開発現場でも同じだった。悲しいことに、ソフトウェアの世界こそ、変化の泉だったのに、それを無視して旧来の方法で対応し続けた

 変化の源泉は、いろいろある。経営レべルの源泉とソウトウェアの世界の変化の源泉は同じではない。だが、変化が求められていることには変わりはない。例えば、ソフトウェアの世界での変化の要請の一つは、「複雑さを回避する」ところから発している。機能の増大や関連の複雑さだけでなく、期間の短縮も、結果として複雑さに現れてくる。この「複雑さ」をどのように解決するか、というところで、多くの技術や手法が提案されている。中には、あまり有効に働かないものもあるかもしれないが、ある時間の中で生き残っている手法というのは、それなりに存在理由が認められた方法ということができる。

 そして、この複雑さに起因する変化の要請は、すでに回路の設計(開発)の分野にも求められるようになっている。組み込みの世界においては、いわゆる、ハードとソフトの区別が付かなくなってきた。それなのに、教育界も企業の中でも、いまだにハードとソフトに壁を作っている。半導体の技術が進んだことで、回路の設計も、ソフトの世界で開発された複雑さを解消する技術が必要になってきた。今日、ハードのエンジニアは、50万ゲートとか100万ゲートの海の中で、溺れそうになっている。かっては「部品」が、複雑さを低減させていた。言い換えれば「不自由」が複雑さを隠していたのである。それが、突然、100万ゲートの「自由の海」となったことで、回路の設計者に複雑さの波が押し寄せているのである。もちろん、数年前から、この世界にも、複雑さを回避するための方法は提案されていた。だが、多くの現場では、チップの最新情報には目を通しても、設計手法の変化には適切に反応しなかった。

 ソフトもハードも経営(マネージメント)も、そして政治も、変化に対してあまりにも無頓着であった。そのツケが、ここにきて表面化しているのである。携帯電話をはじめ、パソコンにもトラブルが頻発している。企業内のシステム開発は言うに及ばず、経営統合する銀行のシステム統合も、おそらく失敗するだろう。

    マネージャーとは変化させる人

 さて、事業を主体とする組織にあって、マネージャーは、一般には組織をリードするための権限を持っている。市場の要請を素早く察知し、その方向にリソースの投入を推進する役目と権限を持っている。今風で言うと「チェンジリーダー」のはずだ。たしかに、現実問題として、企業によっては、責任は負わされていても、適当な権限を与えられていないマネージャーも少なくはない。そのような組織では、変化を推進できない可能性があり、いずれ市場から退場を余儀なくされるだろう。

 問題は、そのような変化させる役割を負っているはずのマネージャーが、変化を恐れ、変化を避けてきたことである。少なくとも、変化を推進してこなかった。いや、変化させようという人をマネージャーに付けなかったと言うほうが近いかも知れないし、それは、人事制度や評価制度を変化させていないために起きてしまったことでもある。この30年間、いわゆる昇進の仕組みや基準が変わっただろうか。人事権を持つようなマネージャーに就く基準は変わっただろうか。それを変えないで、個々の従業員に変化や変革を求めても実現しないのは当然である。

 マネージャーとは、自らの世界観に基づいてビジョンを持って組織を誘導する人のことである。責任範囲の大きさはマネージャーの立場によって変わるだけのことであって、基本は変わらない。そのマネージャーが、自らのビジョンに基づいて組織を変化させなければ、誰が組織を変化させるのだろう。組織の構成員は、マネージャーの「意向」を素早く察知して行動するものである。マネージャーが、変化に対して躊躇していれば、そこに居る人たちは、自ら変化に動き出そうとはしない。

 ソフトウェアの世界とは言え、「プロセス」のコンサルティングを始めるようになって見えてきたのは、あまりにも、変化の止まった組織が多いことである。何年もオイル交換をしなかっため、オイルが飴のように固くなったエンジンのようである。マネージャーが変化を怖がっているため、そこにいるエンジニアまでが、変化を忌避しようとする。もちろん、市場の要請にうまく応えられているわけではない。そこでは、頻発する仕様の変更にかき回され、納期の延長を繰返している。それでも、変化しようとしない。いや、頻発する仕様変更の原因が相手側にあると思っているかぎり、自らの変化の動機を手にすることはできない

 結果として、そのような組織では、若い有能なエンジニアの成長の芽を摘み取ることになってしまいかねないことに、マネージャーは気付いて欲しい。自分は、あと10年で“定年”かも知れないが、そこにいる若いエンジニアには、この先30年という時間がある。30年間、今の状態を続ける積もりなのだろか。こんな状態で、いつまでもそのような機会が与えられる思っているのだろうか。「生産性」という資本主義の大原則を無視した状態で、役割があり続けるはずがないではないか。

    リスクに挑戦して欲しい

 いま、マネージャーが変化を誘導しなければ、日本は「立ち枯れ」状態になってしまう。変化を誘導するには、どうすれば良いのか、単なる“冒険”にならないためにはどうすれば良いのかということを考えて欲しい。

 そのヒントが、ソフトウェアのプロセス改善の中にある。これまでの開発方法を変えるには、それなりのステップと準備が必要である。意識を変え、仕組みを変え、手順を変えていく。そうでないと、変化は後退してしまう。その対応が組織の変化にも応用できると考えている。

 もちろん、そこにはリスクが存在している。だが、マネージャーにリスクは付き物だ。変化に誘導するもリスクがあるし、現状に止まるもリスクである。だがこの2つは同じリスクではない。後者は、衰退のリスクであり、そこに居る若い人たちの未来を奪い取ってしまうリスクである。若いうちから、変化を「常態」として認識し、それに対応する「習慣」を身に付けなければ、いずれ役割を失ってしまう。

 同じリスクでも、前者のリスクに挑んで欲しい。なぜ、自分がそういうリスクに挑戦しているか、それが若い人たちに伝わるはずだ。自分たちの役割を認識して動き出すはずだ。もちろん、リスクが表面化することを防ぐ手だてを講じなければ、そのような挑戦は意味を持たなくなる。でも、はっきりと「リスク」として認識することによって、必死に対応策を研究し、模索し、実験して進めていくはずだ。そういう役割が自分にあることを喜んで欲しい。それが出来ないマネージャーなら、さっさとその役を降りるべきである。

 逆に、若い人たちは、マネージャーを突き上げて欲しい。変化に挑戦しないマネージャーの下では、自分の人生設計が狂ってしまうのだから。このような良い意味での格闘が見たい。



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