2001年の初めにソニーの出井会長が、あるテレビの番組で、これから起きることをキーワードで表すと遠心力と求心力のせめぎ合いだという意味のことを話していた。インターネットの時代に入って、どこに変化が現れるかということで、うまく表現されたと感じたので、そのキーワードを拝借して、身近なところで話を展開してみたいと思う。遠心力とは
ここで言う遠心力とは、その字の通り、組織から飛び出す力のことである。ところで、インターネットの時代は、労働者にどのような変化をもたらすか。特に、高速インターネットの時代に入り、時には、会社のインターネットよりも、個人のインターネットの方が高速という可能性も出てきた。そうなると、「会社」という場に集まって仕事をする必要性も薄れてくる。これだけスピードが要求される時代になると、会社との往復の時間も無視できないかもしれない。
また、個人の環境でも低額で「常時接続」が実現するようになると、インターネットを通じて、人的ネットワークも広がり、知識や情報がさらに新たな知識や情報を呼ぶ。こうして個人の知識の習得や情報収集能力は飛躍的に高まる。もちろん、そのような環境にあっても、個人が行動しなければ何も変わらない。従って、逆に、個人差が大きく開くことになる。
問題は、ここで表面化する。人は、自分に力がついてくると、それを試したくなる。同じような力を持った人たちと、一緒に仕事をしたくなる。その方が、もっと大きな仕事が出来るのではないかと思うし、もっと、効率良く仕事ができるのではないかと思うのだろう。最初は、単なる「挑戦」の気持ちかも知れないが、自分が、そこで活かされていないと感じるようになると、「外」が気になりだす。これは、至極正常な反応である。
高速インターネットの時代は、確実にこの状況を作りだす。いや、そうでなければ、この国から世界に発信できるものが無くなる。今は、日本独特の「横並び」意識が邪魔をしている可能性もある。だが、いずれそのような「横並び」の発想も崩れるだろう。それは、実際に情報やスキルを身に付けた人たちが「遠心力」を行使して、動き出すことによってもたらされる。終身雇用や「就社」の意識が変わって、最近は、明らかに「就職」を意識する人が増えている。一方で、転職市場が形成されつつあることも、「遠心力」が行使されやすい状況をもたらす。
そして、このことは、確実に企業や組織の存亡に関わってくる。ソフトウェアの開発に限ってみれば、組織によっては、数%程度の人が遠心力を行使するだけで、その組織は機能しなくなる可能性がある。高速インターネットは、企業の横並びをも崩すことになる。マネージャーや組織の責任者は、この事に気付いて、適切な対応策を講じないと、組織の崩壊を招くことになる。
情報や知識は個人に宿る
高速インターネットの普及は、情報や知識の習得の機会を、会社ベースから個人ベースに変化させることになる。もちろん、ある程度の「基礎」のレベルは、組織でカバーされるべきであるが、それ以上は、個人の領域である。そして、高速インターネットの環境は、それを可能とするのである。
情報や知識、ノウハウなどは、どのような形で習得するものであっても、まずは個人の中に入る。組織は、そうして個人の中に入ったものを、上手く引き出す必要がある。そうでなければ、組織としてのスキル(組織プロセスのレベル)は上がらないことになる。まさに、マネージメント能力が問われるのである。
ところで、知識や情報は、それをいくら使っても減らないし、無くなりもしない。相変わらず、個人の中に残っている。いや、使えば使うほど、その人のもつ知識や情報、スキルは洗練されることもある。これが「物」と大きく違うところである。「物」なら、それを売ってしまえば、手元には残らないし、破損することもある。だが、情報や知識は、たとえそれを元手に商売しても、依然として手元に残っている。しかも増えていくのである。だから、有効な情報や知識を入手する能力(方法)を持つ人には、どんどん貯まっていくことになる。組織が、それを上手に引き出さないと、組織には何も残らないということも起こり得る。そのような組織は、求心力を持たない可能性があるため、遠心力の方が作用してしまう。いままでのような、「お神輿」の管理(マネージメントではない)では通用しないのである。
もちろん、このこで云う、知識や情報、あるいはスキルと言われるものの中には、いわゆるマネージメントの領域のものも含まれる。
求心力を発揮できるか
遠心力があれば、逆に求心力というものも働く。ただし、求心力は、「質量」を持った人にしか働かない。遠心力も、本来は「質量」を持った人にしか働かないのだが、組織の崩壊によって「放出」されるということもある。こうして放出された人たちの中から、質量を持った人たちが「引き合う」のである。そして数人が「コア」になって、さらに求心力が大きくなるのである。
このとき、自ら適切な質量を持たない人たちは、求心力によって引き寄せられない。ちょうど、宇宙空間に漂うような形になる。いわゆる「雇用のミスマッチ」状態である。高速のインターネットが普及し、IT技術を活用することで、今までのように多くの人を必要としなくなる。間違ってもらっては困るのは、「IT」が組織を変えるのではなく、「IT」を活用することで組織を変えるという人が居るから変わるのである。
つまり、ここで重要なのは、求心力の「中心」に「マネージメント」が存在しているということである。個人の「質量」の中に、しっかりしたマネージメントのスキルを持った人が、そこにいることが重要なのである。このマネージメントが存在しなければ、たとえ「引力」で吸い寄せられたとしても、「質量」を持った彼らを引き止めて、大いに活躍してもらうことはできない。再び「遠心力」を行使されるだけである。
質量を持ったエンジニアの多くは、気持ち良く仕事をしたいのである。だが、彼らの持っている技術は、回路を設計する技術であり、ソフトウェアを設計し実装する技術であって、多くの人が関係する中で、うまく仕事を進めていく技術ではない。だから、前の組織では、遠心力を働かせて飛び出したのである。彼らが求めているのは、自分を上手く使ってくれる「マネージメント」である。
もちろん、そのような優れたマネージメントに接することで、彼はさらに質量を大きくすることが出来るし、将来、求心力の中心になることも出来るのである。
社内の教育システム
もう一つの求心力の要素として、組織の中に、適切な教育訓練システムが用意されていることである。この変化の激しい時代にあっても、いまだに「OJT」に依存しているところも少なくないようであるが、新しい技術は「OJT」では手に入れることはできない。「学習」や「トレーニング」というプロセスを経ないかぎり習得できない。
しかしながら、多くの場合、新しい技術は、これまでの技術の上に築かれる。従前の技術が100%否定されることは殆どない。逆に、そのような従前の技術を持っていないことで、新しい技術を手に入れたとしても、すでに解決しているはずの間違いを犯してしまう。それは、新しい技術では、その部分は触れていないからである。したがって、組織は、基礎的な技術をしっかり身に付けさせなければならない。そうでないと、彼らが新しい技術を身に付ける際の障害になってしまいかねない。
残念ながら日本では、高等教育の場ではここまでカバーされていないため、企業の中でカバーすることも止むを得ない。そして、この内容が求心力の一つとして作用することになる。いわゆる「新卒」を多く採用する企業には、この責任があるとも言える。そして、ここにも時代を見抜き、組織の求心力を大きくするための「マネージメント」の存在が不可欠なのである。
求心力の中心はマネージメント
1960年代に始まった「マネージメント革命」(P.ドラッガー)が、今日のアメリカ経済を支えている。対する日本は、この部分に、依然として手をつけていない。「IT革命」がハヤリのようだが、これがアメリカにおいて活かされたのは、その背後に、「マネージメント革命」によって、下地が出来ていたからである。その「マネージメント革命」を伴わないで、「IT機器」を揃えても、それを作っているメーカーが(一時的に)潤うだけで、「IT革命」が起きることはない。ハヤリに乗せられて機器を揃えた企業は、その分だけコストアップしたことで競争力を低下させただけである。
優れたリーダーの活躍を促すマネージメントこそ、求心力の源泉なのである。
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