庵主の日記

(2001/1/2〜2001/1/8)

 1/2 いよいよ21世紀・・
 1/5 事業の分割・統合が進む

 1/6 コンクリートの規格
 1/7 化学物質過敏症

 1/8 悲しみ


 1/2 いよいよ21世紀・・

 21世紀の幕が開いた。だがなぜか実感はない。国民に対するメッセージが無いからか。この国が21世紀に向けての「夢」を見ていないからだろか。テレビを見ても、新聞を読んでも、悲観的な内容が目立つ。まるで、それによって納得しているような感じさえする。日本の置かれている状況が、今まで以上に厳しい事は分かっている。でもそのことで、後ろばかり見ていても何も始まらない。大事なことは、一人ひとりが、変化し状況を変えていくことだ。それは誰かがやってくれるのではない。もちろん、政府がやってくれるのでもない。一人ひとりが、自分の責任範囲において取り組んでいくことだ。
 政府や組織に対して、何かをやってくれるのを待つのではなく、一人ひとりがやれることを進んでやればよい。出来ない理由を並べるのではなく、出来る方法を考えればよい。それが21世紀を開いてくれるはずだ。

庵主の日記の目次に戻る

 1/5 事業の分割・統合が進む

 今年の4月から、新しい企業分割法が施工される。これによって、事業資産の分割がやりやすくなるので、多くの企業は、この法律の施行を待っているものと思われる。その結果、今は競争相手同士でも、生き残りを賭けて分割後に合併するということも起こりうる。そうでないと、最新型のコードレス掃除機を2万円以下で売ることが出来ない。
 今の商品価格は、大勢の社員に給料を払う必要があるところから出ている。みんなが同じ背景を抱えていた時代であれば、それも支障は無かったが、今日のように輸入が増えてくると、そのままでは市場に受け入れられなくなる。もちろん、この問題は、一方では、物価の下落を招き、その隣では、雇用機会の減少という厄介な問題を突きつけてくる。だからといって、いつまでもこれを避けていたら、日本の産業そのものが、世界の市場から排斥される。
 結局、そこにいる一人ひとりが、時代の要請に合わせることであり、新しい事業の創成が起きやすいように、規制を取り除くことである。「現状」を守ることではない。

庵主の日記の目次に戻る

 1/6 コンクリートの規格

 ニュースによると、コンクリートの品質問題については、法制上の規格は整っているので問題ない。あとは実際の施工の問題だという報告が出されている。昔、私が家を手に入れる際に、マンションと1戸建てとで検討したことがあった。その際の判断材料として、趣味である「朝顔」の栽培が出来るかどうかということもあったが、それよりも、コンクリートに関する厳密な規格が無いということが大きかった。セメントはJISで規制されているが、コンクリートにしたときは現場に任されていて、実際には、どうにでも出来てしまうということだった。殆どチェックされていないのと同じだということが分かったのである。もう一つは、マンションの場合は、配管などが容易に取り換えられるように規制させれいないことだ。業者次第であった。これらは、何も変わっていないと思うが、報告では、「問題なし」だという。

庵主の日記の目次に戻る

 1/7 化学物質過敏症

 20世紀、私たちは「便利」を追い求めてきた。それも、地球を汚し、自然のバランスを壊すことで得てきた。しかしながら、その代償として、いろんな形で報復を受けている。その一つが「化学物質過敏症」である。身近なところでは「シックハウス症候群」というのも、その一つだが、中には、そんな程度では済まない程の症状を発症している人もいるという。
 通常の生活環境の中では殆ど呼吸をすることも出来ないということで、山の上で一人で暮らしている人もいる。スーパーの台に並んでいるバナナにも反応してしまう。訪れる人が着ている衣類にも反応してしまうという。調味料も使えないものがある。この人たちにとって、「生きる」ということは、いったい何なのだろう。社会生活を営めない状態で、生きる目標を見出すのは容易ではないかも知れない。でも、これが私たちの追いかけてきた事の代償なのかと思うと、考えさせられる。

庵主の日記の目次に戻る

 1/8 悲しみ

君、死ぬことなかれ・・
その前に、誰かに心を打ち明けて欲しかった
その前に、生きることを考えて欲しかった

君の死は、駆け込み寺のない組織に対する警鐘なのか
だとすると、あまりも高価な鐘になってしまった

君は、黙って往ってしまった
でも、ほんとうは何かを言いたかったのだろう
ほんとうは、“助けて欲しい”と大声で叫びたかったのだろう

その声は、残された仲間達には聞こえている
彼らは、君の死を無駄にはしないだろう

残酷かも知れないが、人は、人の命を食って強くなれる
それは、親子であろうと友人であろうと同じだ
彼らは、君が選択した道とは違う道を進む勇気を手に入れただろう
そうで無ければ、君の死はあまりにも悲しいものになってしまう

残された友よ、彼の心のメッセージを聞いて欲しい
そして、彼が越えられなかった谷を越えろ
それが、彼の命をムダにしない唯一の選択だろう

君が、どのような形で死を迎えたのかは知りたくはない
どの方法であっても、君にとっては苦しい選択であったに違いない
今は、静かに君を送るしかない

(この思いは、このHPがある限り、ここに残す)

庵主の日記の目次に戻る