庵主の日記

(2000/9/28〜2000/10/9)

 9/28 女性の活躍があ目立ったオリンピック
 10/3 公共投資が地方をダメにする

 10/4 レジ袋課税
 10/8 国民の犠牲の上に立つ銀行

 10/9 形骸化した労働生産性


 9/28 女性の活躍があ目立ったオリンピック

 今回のシドニーのオリンピックでの日本チームは、全般に女性の活躍が目立った。マラソンやソフトボール、水泳、シンクロ、陸上と、女性のメダリストが誕生した。
 総じて、今の日本の社会では、アマチュアスポーツを続けながら生活をたてることは難しい。スポーツのトレーニングを優先すれば、担当できる仕事は限られてしまい、どちらかと云うと取り替えが可能な仕事が中心になってしまう。長期の遠征などがあるため、どうしてもそうなってしまう。当然、報酬は制限を受ける。独身者であれば良いが、家族を持っているとなると、話は簡単ではない。勢い、大学を卒業すると同時に、競技者生活を止めてしまうことになる。
 その意味でも、女性の方がスポーツに打ち込める環境を手に入れやすいかもしれない。

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 10/3 公共投資が地方をダメにする

 来年度の予算獲得に向けて与党や官庁の動きが活発である。政府は、「緩やかな回復基調」という表現で、心理的悪化を防ぐのに精いっぱいで、その裏では、例年通りの公共事業が展開される。一部の見直しは持ち上がっていても、見方を変えれば、それらは昔の案件であり、今の政調会長が自身の裁量で予算を配分する額を増やしたいだけである。確かに、90年代の日本経済においては、80兆円という公共事業が組まれたから、なんとか維持したことは確かであろうが、同時に、その結果として、地方の経済を「公共事業漬け」にしてしまったことは否めない。それに関連する産業ばかりが目立たないか? そんな仕事に就きたくない若者は地方を離れ、かえって過疎を助長していないか? 地域によっては、人口の7割以上が、地元の建築土木の関連企業で働いているというところもあるという。その人たちにとっては、「政治家様々」だろうが、アスファルトとコンクリートの村に、いったいどんな未来を描いているのか?

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 10/4 レジ袋課税

 杉並区が来年度からスーパーなどで試用している「レジ袋」に5円の課税を計画しているが、反響はまちまちである。税収を上げるのが目的ではなく、ごみの処理費用を削減することが目的である。たしかに、今日では「レジ袋」はタダだという感覚で無造作に扱っている。日常の台所からでる生ゴミを小さな単位でまとめる際にも便利だ。だが、そのために、ゴミの処理費用が大きくかさんでしまうとすれば、話は別である。
 以前から、買い物袋を持参する動きはあったが、”面倒くさい”ということと、強制力がないことから、ほとんど実現していない。今回、5円の税金がかかるとなれば、おそらく違った動きになるだろう。会社の帰りにコンビニに立ち寄って買い物して帰る人は、最初は面倒だと言うかも知れないが、「レジ袋」なんて言うものは、畳んでしまえばかさばらない。ちょっとバッグに入れておけば済むことだし、どうせ、あまり大きな買い物はしない。その気になれば、ほとんど問題ない。そのようなスタイルに新鮮さを見出してくれればよい
 個人的には徴収方法に興味がある。

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 10/8 国民の犠牲の上に立つ銀行

 長期金利がじわじわと上がっていく中で、住宅ローンの金利も少しづつ上がる気配を見せていて、それに反応するかのように、住宅の建築戸数は減少の傾向を見せている。ところで、日本の住宅ローンは、ローンが払えなくなって手放そうとしても、担保物件の競売で埋めきれないときは、借金が個人に残ってしまう。だから、購入時の価格を大きく割り込んでいる状態では、手放そうにも手放せず、最悪の選択として自殺を選ぶことになる。
 だが、ヨーロッパでは、担保物件を手放せば、その時点で、ローンも消滅するというルールらしい。だから、ローンが払えなくなれば、物件を手放せばいいのだである。決して「マイナス」にはならないし、ましてや自殺を選択する必要もないのである。こういう制度があるのに、なぜ日本ではこの制度を採用しなかったのか。
 かって、「1億総中流」の流れの中で、政府は持ち家制度を奨めてきた。国民に長期の住宅ローンを契約させ、20年から30年もの間、返済させるのだが、もし、途中で返済できなくなっても、銀行は損をしないようになっている。そこにあるのは、国民は命を懸けて銀行を支えるという図式であり、銀行側には全くリスクはない。
 金融再編の波の中で、企業への貸し出しよりも個人向けの住宅ローンに注力する方向に転換した銀行も少なくないが、住宅ローンこそ、絶対に損をしない商売なのである。

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 10/9 形骸化した労働生産性

 8月の製造業の労働生産性が経企庁から出たが、それによると、1995年を100として117.0という非常に高い数字である。”おッ、日本の製造業も頑張っているじゃないか”と思うのは早い。この数字にはがあって、分母の「労働投入量」には、臨時雇用を除いた「常用雇用者」の時間しか含まれていない。最近の傾向として、企業は常用雇用を減らして、派遣などの臨時雇用に切り替えており、その結果として、労働生産性は勝手に向上してしまう。第一、製造業にいる人たち自身が、5年で17ポイントも向上したという実感はないだろう。
 少なくとも、ソフトの分野では、今のような”リワーク”の山を築いているようでは、生産性は上がっているはずがない。
 ちなみに、新聞報道によると、1998年の1時間あたりの製造業の生産高は、前年比で日本はー0.8に対して、米国は+4.7だそうです。

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