庵主の日記2

2003年3月3日 “フレックスタイム”を活かせない

 「うちは来年から“フレックス”だよ」「え〜、いいな、うちはまだだよ」。年末の忘年会などで久しぶりに同期の仲間が集まった中で、こんな会話が交わされた時代があった。“フレックスタイム”ーこれはサラリーマンにとって一種のあこがれだった。当時は、すし詰めの通勤ラッシュからの解放や、会社からの拘束感からの解放の象徴として受け止められた。就職戦線でも、企業のイメージアップに使われた。

 だが、今“フレックスタイム”が機能しなくなっているという。他人である私の目から見ていても、いずれこうなるだろうと思っていた。日本人の場合、“フレックスタイム”になった途端に出社が遅くなる傾向がある。逆に、8時前に会社に入る人を、ほとんど見たことが無い。おそらく1%も居ないだろう。

 “フレックスタイム”は、自分で自分を管理する能力が問われるのだが、現実には逆にルーズになっていく。雇用に緊張感が無いことも影響しているのだろうが、自分をコントロールできない人には、“フレックスタイム”は使えない。11時に会社に入って、この人はいったい午前中に何をするつもりだろうと思う。

 人間のからだは、午前中と午後とでは活動のペースが違う。私はこれを「周波数が変わる」と表現している。深夜は、仕事が捗っているように見えても、「周波数」が落ちているので、実際には時間の割には成果物が少ない。朝食前の2時間(6〜8時)と比べれば歴然とする。「周波数」が早くなっているので生産性が上がる。それが昼前をピークに、午後になると下がってくる。

 この「サイクル」は私だけではないだろう。おそらく誰にでも共通しているものと思われる。もちろん、この他に「慣れ」というのも作用すると思われるので、総合して個人差がでるだろう。何れにしても、自分の意思で自分の時間を最高にコントロールしようとしない人に“フレックスタイム”は無意味であるだけでなく、怠惰を助長しかねない。日本の企業はようやくそのことに気付いた。

 だがこれで片づいたわけではない。従業員の多くが“フレックスタイム"を活かせないということが、21世紀に活躍しようという企業にとって何を意味するか。少なくとも「廃止」すれば済むといういう問題ではない。すでに「怠惰」が助長された。

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