庵主の日記2

2003年1月24日 窮すれば鈍す

 最近、銀行の雰囲気が尖っている。国営化を避けようと、なりふり構わず振る舞い始めた。デフレが進行し、国内の産業も停滞しているときに、1兆円の資本を増強する意味はどこにあるのだろう。一部は「劣後ローンの優先株への振替え」というトリックを使うようだが、1兆円には程遠い。先の公的資金投入後に、山一や拓銀の二の舞いを避けるために合併や統合で大きくしてきたが、それが逆に身動きできない状態に追い込んでいないか。3月までに目処をつけようと必死のようだ。

 そのせいか、問題になっている銀行の行員の応対が昨年あたりから非常に悪くなった。マスコミにほとんど登場しない銀行も近くにあるが、こっちの行員は落ち着いている。先日も、妻は銀行の対応に1日中怒りまくっていた。1月6日から実施された(らしい)預金の引き出し制限のために預金が引き出せなかったのだ。一定額以上を引き出すには会社の登記簿謄本と代表取締役の印鑑証明をもって、改めて「本人確認」の手続きが必要だという。直ぐに法務局に行く時間などないため、このままでは手続きが完了するまで2週間ぐらいかかるだろう。

 その銀行とは、15年も取引を続けてきてマネーロンダリングとは無関係だということは分かるだろうに、「法律で決っていますので」の一点張りだったという。この人たちには「15年間」は、何の意味も持たないのだ。法律自体は昨年の4月に通っていたらしが、銀行から手続きの必要性について何の連絡もなかった。カウンターの下にポスターが貼ってあると言っても、月に1回しか銀行に行かない者にとっては意味はない。中途半端なペイオブの実施で定期預金から資金が逃げたことや、もともと資金がだぶついていることもあって、銀行にとって一般の預金者はお荷物な存在なのだろうか。

 ちなみに、翌日、マスコミの話題に載らない銀行に引き出しに行ったが、こっちは「OK」だった。1年前(法案成立以前)に口座を開設した際に提出した資料で「本人確認」が完了しているという。その際の応対も丁寧だったという。

 いったい、銀行は何のためにあるのか。ただの金貸しか。

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