庵主の日記2

2003年1月20日 「デフレ克服」という発想は正しいのか

 政府は、「デフレの克服」に躍起になっている。何とかしてデフレの状態から抜け出そうというのだろうが、「デフレを克服」した状態というのは、いったいどういう状態を指しているのであろうか。「平成不況」の対策分から含めると、すでに100兆円以上の国費が「対策」のために使われている。その効果も出ないままに「デフレ」の状態に陥ったのだが、この先も、「デフレ克服」のため、あるいは「不況対策」のためということで、今までと同じように、デフレにはまった人たちの「生活資金」として国家予算が流されていくのだろうか。

 果たして、この「デフレ」は「克服」されるものだろうか。「克服」という言葉が使われる以上、今の状態は、「異常」であり本来の状態ではないという認識と思われるが、本当にそうだろうか。私には短期間に克服できるものとは思えない。そういう一時的現象とは思えない。

 経済の発達は、貿易の自由化ということで物が国境を越え、それに続いて人が国境を越え、さらに資金(金融)の自由化へと進展していった。さらに、流通が発達しインターネットが世界を覆ったことで、一気に、「経済圏」という枠の中で最適な生産地を求める動きへと進んでいった。要するに、国民経済からグローバル経済への展開である。

今の物価の下落は、この「経済圏」の形成の過程で起きていることであって、一時的な現象ではないし、日本だけの問題でもない。地球規模で供給の過剰とそれに連動して価格の調整が働いているのである。今さら国民経済の体制に戻せない以上、この物価の下落は受け入れざるを得ない。「デフレを克服」するのではなく、「デフレに順応」すべきではないのか。

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