庵主の日記2

2002年10月20日 見え始めた"徴税国家”の姿

 長引く不況と、一向に底を見せないデフレの中で、今年度の国の税収が大きく落ち込むことが予想されている。もちろん、地方の財政にも大きな影響があるが、日本では、所得税や法人税は国税になっているので、まずは国の税収の落ち込みとなって現れる。

 ニュースなどで気付いていると思われるが、企業への査察が繰返されていて、「所得の隠蔽」があったとして課税の追徴が盛んに行われている。新聞報道では発表記事をそのまま掲載するため、必ず企業が悪玉にされているが、中には、徴税側の「方針」の変更が混じっているようだ。企業側の「国税庁と見解の相違があり」という弁明の多くが、このケースである。課税の国の統一した基準が曖昧なところがあるために起きるのだが、現場で裁量に近い形で判断されたのではたまったものではない。

 今年の前半にあった一部の外国証券会社の「空売り」の問題も、国内法では明確に規制していないことから起きたことであって、証券会社としては、自由にやらせておいて、具合が悪くなると突然に基準を作ってきて悪者にされたのではたまらない。この件では、世界には間違いなく「日本=裁量国家」の印象を与えただろう。この不透明さも、海外企業の進出を阻害する要因となっている。

 今日の新聞で、パート社員に対する健康保険料の徴収基準(扶養家族の限度額)の引き下げ案が浮上している。たしかに、企業によっては、パートへの切り替えは雇用を抱えたままこの不況を乗り切るための自衛策なのだが、限度額を65万円に引き下げられたのでは、企業の負担が増えるために、そのような企業では事業の継続も難しくなるだろう。夫の収入減を補うためにパートで働いている主婦も、年間にして5万円前後の負担を強いられることになると思われる。健康保険は、年金と違って何の見返りもない。もともと夫が徴収される保険料には、妻の保険分も含まれているのだから、妻のパートに健康保険料を課すのであれば、夫の保険料を引き下げないと「二重取り」になってしまう。

 経営の原則は、収入に見合った体制にすることである。収入が半分にならざるを得ないのであれば、組織や体制もそれに見合ったものにすべきである。もちろん、それが一時的と判断できる場合は、債権の発行などによって一時的に繋ぐことは認められるが、今の日本の状態は、単なる不況でもデフレでもない。欧米に見栄を張って背伸びをしすぎた分が是正されようとしているのであって、本来の体格に見合ったレベルに均衡しようとする動きが根底にある。だからこそ「構造改革」が必要だと言っているのである。

 その証拠に、巷では不良債権の処理を急げとか、デフレの克服が盛んに叫ばれているが、それが達成できたときの日本の姿を誰も示していない。国も著名な評論家も、これを示していない。ただ、現状を何とかしろ言っているだけだ。デフレ対策が「空疎」に見える所以である。ゴールをイメージしないままで、有効な対策が打てるはずがない。ソフトウェアの開発でも、期待する出力結果を定義しないと、プロセス(関数)が作れないが、これはソフトウェアの世界に限ったことではない。もし、不良債権問題やデフレを克服できたときの状態が、バブル崩壊前の状態をイメージしているとすれば「アホ」としか言い様がない。

 小学生でも分かる「少子高齢化」に何の手も打たれていない上に、最大の投資である教育が崩壊している状態も放置されたままで、600兆円にも膨れ上がった国の借金が、毎年、30兆円でも返済できる状態に戻ると言うのだろうか。可能性は一つだけあるが、そこに踏み込むことはないだろうし、制限時間内にその決断がなされる可能性はない。今までもそうであったが、「遅すぎる決定」になることは見えている。そうなると、ずさんな国家財政のツケを企業や国民に回す以外に考えつかないだろう。それは、まさに「徴税国家」そのものである。日本は、そこに突き進もうとしている。『遅いというのは罪である』ということをつくづく感じさせられる。

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