庵主の日記2

2002年6月11日 「自分」が見えない人たち

 日本人は、ブランドに弱いらしい。今でも、海外旅行の目的の一つとして「ブランド品の購入」が根強い。バッグ、洋服、靴、時計、食器、カメラ、ゴルフ用品、酒等々、いろんな分野に亘って、「ブランド」は存在している。「ブランド」は、一朝一夕にして出来るのではない。長い年月をかけて、消費者からの「信頼」の上に成立するものである。品質はもちろん、機能も無視は出来ない。「ブランド」だからといって、あまりにも陳腐な機能ではそっぽを向かれる。商品によってはアフターケアも必要だろう。そして時間がたっても価値が下がらないことも要素になるかもしれない。「ブランド」は、それを維持するのにもコストがかかる。それは、他の製品よりも少々高くても買ってもらえることで可能となる。

 「雪印」というのも、乳製品の世界では、強大な「ブランド」だった。だが、そこにいる人たちの怠慢と傲慢から、ブランドを傷だらけにしてしまった。消費者の信頼を裏切ったのである。嘗ての「吉野家」のように経営のミスではない。単なる経営ミスであれば、経営者が交代することで、「ブランド」の復活は可能であるが、雪印の場合は、商品そのものが信頼を失ったのであり、消費者を裏切ったのである。

 おかしなことに、その信頼を裏切った人たちが再建策を練っていて、金融機関に対して500億円の金融支援を要請しているようだが、無駄なことこの上ない。支援企業が、これまた消費者の信頼を土足で踏みにじった「全農」というから、開いた口が塞がらない。

 自分が、人からどのように見られているかを気にしすぎる必要はないが、まったく見ようともしないというのも愚かである。

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