庵主の日記2

2001年9月17日 世界戦争の危険

 テロ事件としては未曾有鵜のNYの同時テロ事件で、アメリカは報復に出ようとしている.いや、そうせざるを得ないだろう.20世の終わりに東西対決の冷戦が終結し、21世紀は、資本主義とイスラム原理主義との戦いが始まることは予想されていた.たとえば「非対称戦争」という形で研究はされてきた.それが、このような形で始まるとは、誰も考えていなかったのではないだろうか.

 これから、現実の問題として、「非対称戦争」が始まる.だが、テロは仕掛ける方が有利である.相手が「国」ではないだけに、今までのような「戦争」には持ち込めない.しかも米軍の戦いの場は「アフガン」という難攻の地である.嘗てのソ連軍の戦いと比較することは適当ではないだろうが、それでも外部の者にとって、この高地はベトナムとは比較にならないほど攻めにくいと思われる.

 それよりも、今回は国対国の戦いではないだけに、首謀者(と目されている人たち)が民衆の中に紛れ込まれた方が、戦いにくいかも知れない.そこにミサイルを打ち込むわけにはいかない.宗教が絡んでいるだけに、民衆の中に潜り込むのは容易だろう.

 いずれにしても、時間が掛かり過ぎたり、戦い方を間違えることがあれば、イスラムの世界全体を相手にしてしまう危険もあることである.アメリカは、ある意味では世界の「富」の象徴である.それは、裏を返せば「嫉妬」の対象でもある.状況によっては、自分たちの富を吸い取っていった国、と受けられてもおかしくはない.宗教があ絡むと、特にこの点がクローズアップされる危険がある.そうなると、かつての東西の「冷戦構造」から、「南北の熱戦構造」に変わってしまう.まちがってもこの構造に突入するわけにはいかない.

 「戦争は、武器を使った外交で、外交は、武器を使わない戦争」と言われるように、ここで問われるには、むしろ「外交」能力である.アメリカが、どこまで優れた外交能力を発揮するかである.テロが無意味であることを知らせることによって、対象者をあぶり出すことが出来れば大成功である.外交は、外交だけで実を結ぶものではない.国としての普段の行動が評価されることによって、思ったような外交が可能となるのである.京都議定書の批准問題のように、自分が不利なものは拒否するという姿勢では、外交は実を結ばない.

 今回の事件は、あっという間に終わるか、さもなければ数年の時間がかかる可能性がる.後者の場合、宗教や民族の壁を越えて、アメリカがどれだけ世界の信頼を得ているかが問われる.それだけに、自国の経済を優先する姿勢を改めて、地球全体のことを考えてリーダーシップが取れるようであれば、世界戦争への拡大は防ぐことが出来るだろう.

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