庵主の日記2

2001年9月16日 「業」を為していない銀行

 マイカルがついに倒産した.第一勧銀が支えきれなくなった結果だが、第一勧銀は結果的にこの半年で債務を倍増させてしまった.中小の金融機関が引いて行く中で、あてもなく支え続けた結果である.もともと、第一勧銀では、マイカルは「要注意」に分類されていて、特に、倒産の危険はない方に分類されている.要するに、この種の分類は、客観的に判断されたものではなく、経営陣の面子など、銀行内の「論理」の中で分類されているのだろう.

 更生法でなくて再生法が適切であったのかどうかは、素人の私には判断できない.ただこのような事態になっても、銀行のトップは何の見解も表明していない.事務的に処理しているだけである.「最終損益が大幅な赤字に陥る」と、機械的に発表しているだけで、「要注意」の分類や、損失を拡大したことについて、何の発表もない.自分たちは倒産する心配がないからだろうか.

 日本の銀行は、日本の産業を支えるべく役割を担ってきた.だが、戦後は土地神話に便乗して、銀協業としての「融資技術」を磨くことを怠ってきた.その結果、ここに来て「銀行」としての役割を担えなくなった.不良債権の問題にも、自らその対応方法を考え、行動する様子も見せない.先に投入した公的資金の返済が滞れば、政府が株主権を行使することになる(国有銀行と化す)という問題に対しても、これを回避するための行動を取っている様には見えない.全部の銀行が横並びの状態にあることを良いことに、まさか国有化するなどとは思っていないのだろう.そのために、公的資金投入の後に合併や統合を繰り返して図体を“大きく”することで、国有化しにくくしたのだから.ここにも、「契約」や「約束」に対するいい加減さが見える.

 P・ドラッガー氏は、生産性が極端に悪い企業や組織は存在し続ける合理的理由はない、と言ったが、銀行も例外ではないはずである.存続すべきではない理由の一つが、その状態が社会にとって負担になるからである.今の日本の銀行(の多く)は、経済回復の邪魔になっているとまでは言わないが、銀行としての「業」を為さないだけでなく、公的にも負担になっている.

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