プロセス・レベルと人間性

 仕事は、本来、人や社会に対して貢献する行為で、それによって逆に生きる力を与えられるもののはずです。そうでなければそのような行為を「仕事」とする根拠はありません。

 実際、高性能なパソコンは、必要な情報を素早く入手する手段を提供することとなりました。それによって、これまでは特定の組織が独占していた情報が、多くの人の知るところとなり、今や国家の在り方そのものまで変わろうとしています。

 また、優れたソフトウェア製品は、多くの人に「楽しさ」や「便利さ」を提供してきました。そのような関わりを通じて社会に貢献できることは、間違いなく「喜び」であり、生きる力でも在ります。

 しかしながら一方では、仕事は「約束」でもあります。多くの仕事には、期日や品質、性能等に関して何らかの「約束」が存在します。また、その「貢献」の役割を負うことに対して「競争」が存在します。この場合の「競争」とは、より効率良くその貢献の役を果すことにたいする競争です。効率よく提供されることで、人や社会はより多くの貢献を手に入れることが出来ます。

 技術や技法、手法等というのは、効率良く貢献できるために必要なものであり、そのために時代に応じて次々と考案されるのです。

 ソフトウェアの世界でも、個人の生産性の差は、平均的に見て10倍ぐらいの開きがあるものです。時には20〜30倍も開くこともあるでしょう。したがって、要件を聞いて、それを実現するまでの期間だけでも5倍程度の差が日常茶飯事です。

 ところで、ソフトウェア・プロセスのレベルが「1」の開発組織では、段取りが悪く、リーワークが頻繁に行われるため、納期や性能の約束が守れません。当然、残業や休日出勤の時間も増えることになります。それでも、どうにか約束を守れている間はいいのですが、市場の要請は一定ではありません。年々、開発期間や品質、コストの面で、要求が厳しくなります。

 適切なスキルアップ・プログラムを持たないまま、それらの要求に場当たり的に対応してきただけでは、何れ行き詰まります。何時までも同じやり方では通用しなくなるのです。

 悲劇は、一度の失敗から始まります。開発期間が前回と比べて厳しくなったことで、つい、要求を明確にすることを怠ったり、必要な設計書を省略したしてしまうのです。その結果、重大な要求モレや、勘違いが最後の段階になって発見され、約束の期日を大きく外してしまうことになります。

 それだけではなく、その段階で既に次の開発プランに大きく被さってしまうのです。スケジュールの狂ったプロジェクトの殆どは、着手の遅れに拠るもので、それは、1回の失敗に始まっているのです。そしてこのような組織において、1度狂ったサイクルは2度と元には戻らないのです。その原因は、そのような組織に限って、「立前」が横行し、現実的な話ができないのです。上司やマネージャーは「あの時、出来ると言ったじゃないか」という言葉を盾にするだけで、そこからは、現実的な解決策は出てきません。

 ところで、人格は生まれ付いたものではなく、習慣に拠って身に付くものです。これは多くの先人が指摘しているところです。つまり、日々、どのような習慣の仲で過ごしているかによって、その人の人格が形成されます。毎日、売上のノルマに追われて、兎に角、人を騙してでもいいからノルマを達成することを考えていると、人を騙すことに慣れてしまい、挙句は、騙されるほうが悪いのだと言いだすようになります。証券会社にあって「一任勘定」の何処が悪いのかと言いだすのも、同じ発想です。

 贈り物や接待に慣れてしまうと、それに絡んで善悪の判断基準を無くしてしまいます。見掛けは大企業の社長かも知れませんが、その中身がこれじゃ、寂しいかぎりです。

 毎日の繰り返しによって、その人の価値基準が、人の尊厳を守るというところから、組織を守るということに移っていても、全く気付かなくなるのです。休日は、“いいおじさん”なのに、一度会社の門をくぐると、別人になってしまう人もいます。そしてそれは当然の話なのです。

 もっと身近なことろでは、休日の子供との約束を「仕事だから」と言う言葉を使って破らなければならなくなります。子供はこの段階で、「仕事」であれば約束を破っても構わない、ということを学習してしまうことを、親はもっと真剣に考えるべきです。

 もちろん、親とて子供との約束を破ることに、自責の念を感じているのですが、「仕事だから」どうしようもないのです。こうして、事あるごとに自らの人間性を傷つけていくのです。そしてそのような姿を、家族の前に毎日晒しているのです。もし、そのことを本人が自覚しているなら、その人は考えることを止めるしか方法はありません。

  このように、レベル1の開発組織では、納期や約束を守れないために、顧客の要求を勝手に曲げてしまったり、設計が不十分なことを知りながら、そのことを隠して納品してしまったりせざるを得なくなり、その度に自らの人間性を傷つけることになります。組織が効果的な開発技法を身に付けていない状態では、そこに居る人たちは、このような状況に陥ることを避けることは出来ません。そしてこの問題は、ソフトウェアの組織に限らず、ハードウェアの開発組織でも同じはずです。

 兎に角、プロセスのレベルを「2」に引き上げることです。そのための行動に躊躇することなく取り組むべきです。経済のグローバル化が進む状況では、今、何とか開発できていることが、必ずしも、一年後も、その役割が与えられている保証にはなりません。

 



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