“十分よいソフトウェア”とCMMの関係について
(Index)
今年(1997年)の2月、E.ヨードンの「Rise and Resurrection of the American Programmer」という本が『プログラマーの復権』という名前で邦訳出版されました。その中に「十分によいソフトウェア」というテーマで一つの章が設けられています。つまり「Good Enough」です。
この本の内容そのものには問題はないのですが、多くの日本の読者は、この本の背景を殆ど理解していないと思われます。我が国では、ソフトウェア業界は品質・価格・サービスといった本来の意味で市場の競争原理に晒されていないし、「品質」の専門家もいません。ほとんどの組織は本気になって欠陥ゼロを目指したこともないし、統計的テスト(Statistical Testing)技法も、「CMM」も知らないという状態でこの本を読んだとき、著者の意図するところと違う形で認識してしまう危険を感じるのです。
「Good Enough」が時代の流れとして表に出てくることは、1、2年前から IEEE の雑誌で目にするようになって感じていましたたが、殆どの人は、この記事を目にしていないと思われましたので、特にコメントしないで置いておいたのですが、ヨードンの本が翻訳され、その中に25ページも割いていて、しかもその内容が誤解されかねない危険を感じたときから、この問題について解説するつもりで居ました。そのような時に、ホームページの読者から、「Good Enough」についての質問メールが送られてきたこともあって、早急に誤解されることを防ぐために、ここに「Good Enough」について私の考えるところを書くことにしました。内容的には、まだ不足していますが、先ずはこの当たりで公開することにします。