「再就職促進法案の欺瞞」
政府は、2月16日の閣議で「再就職促進法案」を決定し、国会に提出した。内容は、いまだに、国会のホームページでも見ることが出来ず、16日(17日)に新聞に書かれたものに依存するしかない。それによると、表面的には今までの解雇させない方針を転換し、円滑な人材の移動を促すということになっている。一向に解決しない雇用のミスマッチの存在を認め、それなら、再雇用を促進しようという姿勢である。人材の移動がスムースに運ばない理由は、
1)身に付けているスキルが不足または、時代に合わない
2)再就職に年齢制限がついていること
3)現在の給与との差が大きい
などが考えられるが、ここでは、主に、1)と2)に焦点が絞られている。年齢制限の廃止は評価できるが
法案では、採用に当たって年齢制限を付けることは廃止される事になっている。確かに、一歩前進ではあるが、実に甘いとしか言いようがない。
先ず、「廃止を企業の努力規定とする」となっているのであって、「禁止」にはなっていないし、罰則もない。これが何処まで有効に働くかということ。たとえ募集要項や面接など表面的には年齢制限を外したとしても、実際に採用を決定するところで年齢を使っても分からないではないか。そこで年齢が判定に使われたことを、採用されなかった人がどうやって知ることができようか。年齢を基準にしていないことを、企業が公表するか、訴えられたときに、それを証明する義務を負わせないかぎり、簡単には実現しないだろう。中高年のスキル不足
一方で、年齢を越えて雇用が成立するには、その人のスキルが、求められている労務仕様を満たすことが必要になる。日本では、一般に高齢者のスキルが著しく低い。「管理職」の制度も、合理的なスキルにもとづいていることは少なく、多くは、経験年数や「成績」によって登用されている。そのため、組織としての戦力を低下させてしまうこともある。
また、「定年」という“滝”が存在することも、個人のスキルアップの意欲を阻害している。「定年まで10年」という状態は、新たなスキルアップへのチャレンジを躊躇させるのに十分である。
このような状況に置かれた中高年者にとって、「再雇用」の際の年齢制限が廃止されるといっても、結果的に、スキルと年齢がリンクしてしまっているため、どっちの理由で再雇用が実現しなかったのか判断が付かないかもしれない。再教育は何処でカバーされるのか
一般には、解雇されるには、それなりの理由がある。企業の業績悪化が主たる原因かもしれないし、解雇の対象となった人のスキル不足が原因かもしれない。前者の場合には、中にはそのままの状態で再就職先が見つかるかも知れないが、後者の場合は、再教育されないと、再就職は困難な可能性がある。能力の判定基準を作ったとしても、能力の足りない状態がカバーされるわけではない。結局、どこかで再教育を受けるしかないのだが、企業に課せられた「再就職支援」とは、いったい何処までを範囲に含んでいるのか曖昧である。企業にとっては、再就職のための再教育完了まで面倒を見させられるのではたまったものではない。少なくとも、解雇しようとする企業の中に、そのようなテーマの再教育の場があるとは思えないし、たとえあったとしても、当人にとって有効なテーマではない可能性がある。
採用や再配置に伴う再教育は、企業の責任で実施されるだろうが、解雇に伴う再教育は、企業ではなく、社会でカバーされるべきである。失業保険や企業が払う税金でカバーされるのが筋である。相変わらず企業に責任をかぶせる発想
このように企業に責任を負わせる発想は明治以来のものだが、そのために社会の変化を阻害していることに気付くべきである。もちろん、企業によっては、それを自ら選択することは構わないし、それは企業のイメージを大いに高めるのに貢献するだろう。だが、それをすべての企業に強制すべきものではない。企業の設立には、それぞれの事情があって、すべて同じとは限らない。もちろん、永遠の存続を目指すとは限らない。時代の移り変わりとともに消滅させることだって、罪とは言えない。逆に、役割を終えているのに不用意に存続させるほうが、社会にとって障壁となることもある。企業は、「合目的」な存在である以上、この選択は避けられない。にもかかわらず、一様に、企業にこのような責任を負わせることは、社会主義的発想であり、何処かに矛盾を発生させることになるだろう。
容易に解雇できない仕組みが残っている
この法案では、企業が1ヶ月に30人以上の人員削減を予定している場合、対象となる従業員の再就職を支援しなければならないとなっているが、そもそも、我が国では、簡単には解雇できない仕組みなっている。労働基準法では、1ヶ月前の通告で解雇は可能なのだが、それを安易に使ってはならないという判例が出ていて、実質的に指名の解雇は出来ない仕掛けになっている。最近になって、外資系の企業で、この判例を部分的に修正するような判例が出されたようだが、基本的には先の判例は生きている。
そのため、企業は「自己都合」による退職に誘導することになる。実際に、その犠牲になった人はたくさんいるはずだ。そうなると、今回の再就職促法案も何の役にも立たない。判例では、倒産の瀬戸際でなければ、解雇できないことになっていて、実際にそのような状況に陥った企業が、残された労働者のすべての再就職を保証できるとは思えない。この面からも、この法案はザル法と言えよう。労働者いじめは解消しない
先にも触れたように、我が国では、安易な解雇を認めない判例に触れるのを避けるために、「自己都合」による退職に誘導する傾向がある。最近のNCRの解雇に伴うトラブルは、強引に自己都合に誘導しようとして行き過ぎた例である。この判例は、当初は労働者の権利を守るべく出されたものであるが、逆に、解雇を陰湿なものにしてしまっており、今や労働者にとって何のメリットもない。むしろ、労働側としては、明快な手続きでの解雇を求めるべきである。
今回の法案も、企業側に再就職の支援を義務づけており、企業はこれを避けるために、一層、自己都合に誘導するだろう。こうなると、ますます陰湿な解雇に繋がってしまい、退職金や失業保険の扱いも不利になってしまう危険がある。将来、再教育のための「バウチャー」制度が導入されたときも、自己都合による退職が、会社都合による解雇と同じように扱われるかどうか疑わしい。企業に、必要以上に雇用や再就職の義務や責任を負わせることは、結局、労働者苛めに繋がってしまうだけで、折角の法律も機能しなくなるだけだ。再教育プログラムの所轄は?
この法案がザルであるもう一つの所以は、このような再雇用に有効な教育プログラムを、どこが提供するかである。もちろん、解雇しようという企業の中にあるわけはないのだから、当然、外の教育機関が提供することになり、そこに通って新しい知識や技術を習得し、その上で再雇用に臨むわけだが、問題は、その教育プログラムの内容である。言い換えれば、厚生労働省が所管するのか、文部科学賞が所管するのかということである。
ここで求められている再教育プログラムが、1週間未満で実現するテーマであれば、厚生労働省の所管で実現できるだろうが、たとえば、IT時代に対応するためのプログラミングのトレーニングや、ソフトウェアの設計技術の習得となると、少なくとも数ヶ月の期間が必要となる。実際、ソフトウェア開発の現場への再雇用となると、最低でも6ヶ月の教育機関が必要であろう。その場合、歴史的経緯から、厚生労働省の所管で実施することに、文部科学省が黙って認めることはないだろう。
もちろん、わたしに言わせれば、実に簡単な解決方法があるのだが、その解決策が採られることは殆ど100%考えられない。結局、この法案は、実行できる裏付けを持たないのである。それは、同時に、この沈滞した経済状態を脱するきっかけを掴めないことをも意味する。◆ ◆
結局、我が国では、経済が停滞し、失業者が増えても、目先の「景気対策」ばかりで、中長期的な視点に立っての、国のシステムとして機能する「再雇用システム」が構築されるのは、当分先の話である。したがって、日常の中で、確実にスキルを身に付けながら仕事をこなしていくしかない。
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