[SCだより 122号]

(第40回)

 ソフトウェア構成管理(SCM)は、すべてのプロジェクトに一様に適用するような一組の標準的な実施手順ではない。SCMは、プロジェクトの規模、不安定性、開発プロセス、顧客参加の程度、といった、各プロジェクトの特性に応じて調整されなければならない。1つのサイズではすべての人に合うわけはない。
 例えば、米国連邦航空局(FAA)の国家宇宙システム(NASA)は、7レベルの構成制御委員会を設置しているが、これは明らかに小さなプロジェクトでは不適切である。使い捨て型プロトタイプの開発は、構成管理で管理されたソフトウエア要求仕様書がなくても、おそらく実施することができるだろうが、それは明らかに、本格的な開発では実施できない。
(201の鉄則:原理175<製品保証の原理=SCMをソフトウェア・プロセスに適応させよ>)

― 解  説 ―

 最近は、ソフトウェアに対する要求が急速に増大し、規模も難しさも大きく変化しつつあります。多くの開発の現場では、そのことに戸惑い、混乱し、模索しているようです。組み込みシステムの中には、実際にこの数年で、ソフトウェアの規模がMB単位で数倍に膨れ上がっているものもあるようです。100KBが数倍になるのとは訳が違います。そのような状況が、最近の構成管理ツールや文献に対する需要の高まりの背景にあるものと思われます。

ツールの効能と誤解

 「ツール」には、一般に、手順やルールを強制する力があり、それを使わないかぎり、目指すものが作れない、というものもあります。ただ、その強制力のために、現状のプロセスの中に収まらないことが、これまでCASEツールの普及を妨げてきました。
 ツールは、そこで行われていた混濁した作業を、あるていど機能別に分離する効果を持っています。実装作業と言いながら、実態は分析も設計も混じっていた作業が、適当なツールを使うことによって、分析や設計に関する作業が際立ってくることがあります。今風に言えば、「プロセス」が見えてくる、というところでしょうか。これは明らかに、ツールの効能です。もちろん、私がこう言ったからといって保証するわけにはいきません。
 それに対して、UMLをサポートするツールは、UML自身が「表記法」という立場をとっているために、そのツールも操作に厳密性を要求せず、使い手に任せた分だけ、“使いやすい”結果となっているようですが、逆に、現行プロセスを変える力には繋がらない可能性もあります。
 そのような中で、構成管理用のツールはちょっと事情が違うようです。このツールは、開発現場のコンピュータ・システムにインストールして、そのツールの操作方法を覚えれば、問題が解決するというものではありません。このツールの場合、意図的にプロセスをコントロールしないと、うまく活用できない可能性があるからです。

複数プロセスにまたがる

 その一つの理由は、構成管理の及ぶ範囲が広いことにあります。例えば、ソースライン・デバッガーは、「デバッグ」という限られたプロセスの中で使われますし、CASEツールは、時には、実装のプロセスにまでまたがりますが、分析や設計プロセスが中心でです。
 それに対して構成管理のツールは、派生モデルの開発の場合などは、最初の変更要求仕様をまとめる所から始まり、最後の評価を終えるところまで、殆どすべてのプロセスにまたがって使用されます。途中で、このツールを適切に使用しないでソースが作られる様なことがあったら、その時点で、構成管理は行き詰まることになります。
 このことは、関係する組織がすべて足並みを揃えなければ、システムを構成するソースのバージョンが管理出来なくなり、問題やその対応状況などの追跡も出来なくなることを意味しています。この点もCASEツールとは異なるところです。
 言い換えれば、その現場で行われている(混濁した)作業のすべてにわたってプロセスを明確にし、構成管理のツールがうまく使えるように現在のプロセスを変えていかないと、ツールとしての効果を発揮しない可能性があるということです。

あるべき姿を知る

 もう一つ、この種の取り組みで問題なのは、エンジニアを含めた現場の人達が、構成管理について殆ど知識を持っていないということです。せいぜい、ツールベンダーが提供するセミナーに参加するぐらいで、自分で関係する文献を読んでいる人は殆どいないというのが現状です。
 そのために、構成管理ツールを導入すると言っても、そのことが、今の自分たちの作業の流れにどのような影響を与えるのか判断できないし、ツールが効果を発揮するように作業の流れを変えようという動きにつながることもありません。
 もちろん、一気に理想的な姿に持っていくことは出来ないでしょうが、ツールを使っての『あるべき姿』が見えていれば、プロジェクトを何回か回す中で、判断のプロセスを含めて、自分たちの組織にあった効果的なプロセスを組み立てていくことが出来るはずです。実際、CMMの元になっている『ソフトウェアプロセス成熟度の改善』という文献では、構成管理への取り組みを2段階に分け、最初はソースを対象とし、ドキュメント類を含めた構成管理は、後の方に設定しています。私に言わせれば、ソースへの導入の前にも、先ずは現存する既存モデルのソースの登録と、用意した標準と手順の確認のために机上でのシミュレーション・ゲームをやってみる事も有効です。あるべき姿を持っていれば、これも可能なはずです。

マネージメント能力

 さらに、この種の問題を解決するために必要なのは、マネージメントの能力です。そこでの決断は、単に構成管理を導入するかどうかということだけではなく、どのように取り組むかということも含まれています。残念ながら、後者の方の決断がなされることは殆どないようです。それは、マネージャー自身が、構成管理と言うもののあり方や目指すものを理解していないことに起因しているものと思われますが、すでにこの段階で導入に失敗する可能性が高いと言わざるを得ません。
 若いエンジニアも、最近は「文献」を読まなくなったように思われますが、これはとても危険な状態です。『プロフェッショナル化』の時代に逆行している言わざるを得ません。この変化の激しい分野に居ながら、若いときに必要な文献を読んでいないということは、時代の要請に応えられない可能性が高いということであり、そのような状態を許容(放置?)している組織は、早晩、時代に取り残されることになるでしょう。
     


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(第122号分)

QC活動の空白域

▲H2ロケットの打ち上げ失敗やその前の東海村の臨界事故から、この国の品質管理の現状を見る思いがする。日本は、品質では世界のトップを走っていたのではなかったのか? 「品質のニッポン」とは、日本の製造業に与えられた称号ではなかったのか?
▲確かに、QC活動やTQC活動は、それなりの成果を収めてきた。生産性の面では、少し甘いところはあるが、品質の面では問題ないと思われてきた。それが立て続けに失敗したことで、現実はそうではないことが露呈した。確かに、最近のTQC活動は、硬直化していた感はぬぐえない。
▲QC活動は誰のためのものだったのだろう。私が見たところ、ソフトウェアの技術者の間では、QC活動は浸透していない。彼らは、「あれは自分たちには合わない」「製造部門のためのもの」と言って憚らない。ハードの分野でも、開発や設計のセクションでは、同じようにQC活動に本気で参加していないのではないか? QCやTQCは、非技術者に対してある程度の品質を確保するための取り組みになっていたのではないか?
▲今必要なのは、いわゆる「技術者」に於ける品質技術の習得である。彼らを「品質管理」や「品質保証」の面でも「一流」に教育しない限り、本来の技術でも活躍出来なくなる。そのためにも、ソフトウェアなど、これまでとは違った分野からの参加が必要であろう。


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 第105回

モラトリアム人間


景気の回復が進まず、既存企業が新規の採用を手控えてしまい、来年卒業の学生の就職内定率が大学生で63.6%と落ち込んでしまった。この状況に、学生の方も諦めの心境か、全体として深刻さは感じない。

就職先がなかなか見つからないということで、焦っている学生もあるようだが、中には、就職しない選択もあるという。確かに、意に沿わない企業を選んでも長続きしないということは、統計データも示している。企業にとっても、2,3年で辞められてはコストを回収できないだろう。ところで気になるのは、ここで行使された「就職しないという選択」であるが、仕事をする場が無かったのか、求められる分野やレベルの仕事をする力が無かったのかを、判断出来ていない可能性がある。

▲▲親を通じて見える社会 

多くの学生にとって、就職するということが決して自分の夢を実現するものとは限らない、ということを、親を見て感じているのかも知れない。仕事を楽しんでいる様子もなく、「家族のため」とか「仕事だから」という言葉で、時には己の良心をも踏みにじってしまいかねない姿を見て、違和感を覚えているのかもしれない。最近では、リストラという言葉に敏感になっている父親の姿を見て、朝早くから夜遅くまで、「会社の為に」働いても、必要なくなれば捨てられてしまう、とでも思っているのだろうか。
少なくとも、仕事を「自己実現」の場と捉えている学生は少ないように思えるし、第一、「自己実現」という概念すらないのではないか

▲▲教育レベルにも問題

就職を困難にしているもう一つの原因は、学生の学力の低下である。高校は、どうしても大学の方針や状態の影響を受けるが、職業教育の方面は、完全に時代に置いていかれた感じがする。今から建て直すとしても、果たして時代の変化の方が早いかもしれない。
一方、大学の責任は重い。学生の受験の負担を減らすということで、入試科目を減らしたことが、此処に来て学生の質の低下に拍車をかけた。その結果、大学の講義に支障が出るということで、入学後に高校レベルの補習授業をする始末である。もともと卒業の関門が低かっただけに、この方面でも、時代の要請に応えることが出来ていない。

▲▲とんちんかんな要請

あまりの内定率の低さに、労働相や文部相が経済界に対して採用枠の拡大を要請する有り様で、まったくおかしな話である。企業は意地悪をしているのではない。これまでやって来たことが通用しなくなったのである。コスト体質の悪さが一気に表面化したため、人件費を切り詰めだしたのである。分配率からみて、決して無謀なリストラ策ではない。むしろ、個々人の生産性が上がらないことの方が問題なのである。
そんなときに、大臣が採用枠を拡大して欲しいと要請するのは、全くの筋違いである。このまま行くと、新卒の採用に対して半年間の資金援助するといった優遇措置も出かねない。この発想は、失業者に対して既に今回の「経済新生対策」の中に盛り込まれているが、リストラに遭遇した労働者は、この制度で振り回されるだろう。そうして振り回されている親を見て、若い人の会社に対する不信は募るだろうし、そのことがモラトリアム人間を増やすことにもなる。
今、政府が動くべきは、大学や高校だけでなく専門学校の教育カリキュラムを、時代に合わせて早急な見直しを求めることであり、競争やチームワークを取り入れた、世界に通用するものに変えることである。これは即効性はないが、今この手を打っておかないと、5年経ったとき、打つ手が無くなっていることになりかねない。
また、ベンチャー企業育成のための税制の変更が必要である。新設企業については最低五年間の税制優遇、それも中途半端ではなく、自分もやってみようという気にさせるようなものでなければならない。個人に対する税率も、大胆に低くすべきである。これはどちらかというと即効性に近い効果が期待できる。
もちろん、今の大蔵省は賛成しないだろう。だが90年代に入っての不況からの脱出に手間取っている原因の一つは、このような大蔵省の姿勢にあることは否定できない。それは隣の韓国をみても分かることである。構造の変化が必要な時には、それを促すような方策が必要である。
住宅ローンに対する優遇税制も、期限を延長することに大蔵省は反対しているが、彼らこそが、最大級の「モラトリアム人間」ではないかと思いたくなる。変化を先延ばししているという点では同じである。   ■


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 (第122号分)

「碁打ちの上手が、何時間も、生き生きと考えることが出来るのは、一つ或は若干の着手を先づ発見しているからだ。発見しているから、これを実地について確かめる読みというものが可能なのだ。人々は普通、これを逆に考え勝ちだ。読みという分析から、着手という発見に至ると考えるが、そんな不自然な心の動き方はありはしない。ありそうな気がするだけです。それが、下手な考え休むに似たり、という言葉の真意である」
                 小林秀雄

 一般に、「選択」に迷っているときの行動は、小林秀雄の言うように、読みという分析のところで立ち止まったまま、着手に至ることが出来ずにいる状態である。そこで“どっちが良いのだろうか”と、迷っているのである。本人は真剣に先のことを考えたつもりなのだが、選択できない原因が、アプローチが逆さまであることに気づいていない
 ちょうど、分かれ道を前にして、どっちにしようか、と迷っている状態で、そこに居続けても、選択の判断が出来る材料は手に入らない。そこからは、右も左も「選択可能」なのである。それよりも、(仮に)どちらかに決めることによって、新しい場面に進めることができる。その途中で、行き詰まったら、さっきの選択肢の所に戻って、もう一つの方に進めばよい。
 分析で最終的な答えが見つかるのではなく、選択肢が見つかったら、どちらかに足を踏み入れることで、新たな問題に遭遇する事が出来、それによって、最終的にこっちの方が良い、ということで選択が可能となるのである。


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