[SCだより 107号]

(第25回)

 すべてのコスト見積もりモデルの精度は、これらのモデルを適用するそれぞれの作業場所に合わせた調整に依存する。しかし、もし、過去のプロジェクトから詳細なデータを前もって集めていなければ、今問題としているコストモデルを調整することは出来ない。したがって、現在正確なコスト見積もりができていないことを大いに弁解しなければならないが、将来はどうだろう。もし、今日詳細なデータの収集を始めなければ、将来もやはりコスト見積もりモデルを調整することはできない。それならば、あなたは何を待っているのか。また、Manny Lehman の次の忠告も思い出して欲しい。「よく理解され、注意深く集められ、モデル化され、そして解釈されたわずかなデータは、こうした特性を持たない大量のデータよりもずっとましだ」

(201の鉄則:原理150<管理の原理=生産性データを収集せよ>)

― 解  説 ―

 “生産性データ”・・・おそらく殆どのソフトウェアの開発組織に席を置く人たちにとって、もっとも耳にしたくない言葉ではないでしょうか。もしかしたら、読者の中には、この先を読むのを止めてしまう人もいるかも知れませんね。

 原理150ではコスト見積もりのモデルを調整するための詳細な生産性データを例に上げていますが、別にコスト見積もりモデルの調整データにかぎるわけではありません。それに、残念ながら我が国では、コストモデルを使用しているソフトウェア開発組織は多くないものと思われます。特に、組み込みシステムの開発組織では、ソフトウェアが収納されるROMやRAMの「部品コスト」には注意が払われても、ソフトウェアの開発コストは「タダ」と考える傾向が未だに存在しています。その原因は、「人件費」という固定費勘定で処理されることが最大の原因でしょう。そして、このようにコストを無視する考え方がまかり通っていることが、ソフトウェアの開発組織の改革を大きく遅らせているのです。

 ですから、現段階では、コストに変身する前のデータ、即ち「時間」や「件数」の形で収集することをお勧めします。これでも比較には十分耐えられますし、必要なときにはコストに姿を変えることもできます。

データの収集は習慣化

 コンサルタントの立場から、生産性データの収集の話しをすると、多くの人はその途端に嫌悪感を露にします。本人は少しは押さえているつもりかも知れませんが、表情には見えています。現場の人たちには最初から「生産性データ=厄介なもの」という図式が出来上がっているようです。もっとも、何故厄介なのか、どうして厄介なのかということを、実際にはあまり考えたことはないと思われます。というか、そのことが良く分からないために、「厄介物」扱いしてしまっているのでしょう。

 それでも、組み込みシステムの開発部門では、ソフトウェアの比重が今日のように大きくなる前の作業の習慣が残っているところでは、生産性データの収集にあまり強い抵抗を示しません。というより、その種のデータは収集するものだという認識があるようです。このような組織の場合でも、放置するといずれ意識が薄くなってきますので、その意識が残っている間に、改めてデータ収集の習慣をつけるのと、それを活かしたフィードバック・システムの基礎を作ってしまえば、この先は非常にやり易くなります。

工程別の生産性データ

 ところで、ソフトの世界において「生産性」がイメージしにくい理由は、ソフトウェアの開発には幾つかの性質の異なった工程で構成され、それぞれの作業の進め方が違っているのと、それらの工程が、場合によっては同じ人が担当すること、また前の工程の出来具合が後の工程に影響することなどによって、工程全体に対する生産性というものがイメージしにくいものと思われます。勿論、ハードウェアの世界にも、同じように性質の異なる工程が繋がるのですが、多くの場合、担当者が異なっていますので、各自の生産性のイメージはやり易いはずです。

 このような障害を避けるためには、出来るだけ工程別(プロセス別)に生産性データを取ることです。例えば、ドキュメントを生成する作業、ソースコードを生成する作業、そしてテスト作業というように。第一、これらの作業の生産物の単位も異なります。また同じ「ページ数」であっても、分析と設計では、その生産性には大きな違いが考えられますので、工程別にデータを収集する方が合理的なのと、プロセス改善への取り組みを考えると、別に収集している方が役に立ちます。なお、各工程の中に含まれている、レビューという作業も別に捉えることもできます。レビューの生産性という観点で、データを収集することができるのです。これは、CMMのレベル3の取り組みで、レビュー技術(能力)の習得の状況を確認する際に役に立ちます。

飽くなき追及が存在を保証する

 多くのソフトウェア・エンジニアは、何故か、ある程度自分の位置が確保されるようになると、技術の習得を止めてしまう傾向が見られます。日本の社会の特徴である「相対評価」が影響しているようで、回りの人と比べて、相対的に優位な位置に居ることが確認されると安心するのでしょうか、それ以上のものを求めようとしなくなります。個人的に到達目標というものが設定されていないため、どうしても相対評価で判断してしまうことになるのでしょう。エンジニアだけでなく、マネージャーにおいても相対評価に慣れていて、組織に絶対評価のノウハウを持っていないのです。これは組織にとって、とても大きな問題となるはずで、そのことが、飽くなき技術の追及に繋がらない原因になっていると考えています。今日の波乱含みの経済情勢にあって、その身を保証するのは、飽くなき技術の追及であり、それを見える形にして支えるのが生産性データであることを忘れてはなりません。

純粋培養せよ

 既存の、相対評価で凝り固まった組織の文化を変えるのは非常に困難です。若い人材を獲得しても、何の予防措置も講じることなくそのような相対評価の文化の中に放り込めば、殆どの人は数年のうちにその文化に馴染んでしまいます。ある意味では、それが「伝統」として受け継がれる仕組みなのですが、組織の既存の文化や習慣を変えたいときには、その「仕組み」が障害となります。

 生産性データの収集も、最初からそうするものだと教え、それを日常の中に取り入れれば、別に抵抗もなく受け入れることが出来るはずです。本当に組織の文化を転換したければ、既存の文化と切り離す仕掛けが必要かも知れません。逆に云えば、既存の組織の多くは、ここで足踏み状態に陥るものと思われますので、後発の組織であっても、大いに逆転の可能性はあるわけです。


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(第107号分)

絡みあう世界

−混乱とキナ臭さ−

▲世界各国の通貨や株式市場が、まるで何かに怯えるかのように、ちょっとした物音に驚いて乱高下している。1年前のアジアの躓きに始まったのだが、関係者は、この1年間振り回わされっ放しだと思われる。

▲中国は競争力の低下から予定の成長率を確保できないという問題に加えて、長江の氾濫という災難まで加わっている。香港ドルの米ドル連動性も限界のようだ。ロシア経済の行き詰まりも、核兵器の分散の危険をはらんでいる。アジアの躓きは、既にカナダの経済に影響が出始めたし、早晩、中南米の経済にも大きな暗雲となるだろう。

▲一方、石油の価格暴落によって中東諸国が政治的に不安定な状態にあり、そこに、イスラエルの問題と絡んで反米テロが活発化の兆しが見えている。カンボジアが落ち着いたと思ったら、インドとパキスタンが限定戦を始めたし、スリランカもキナ臭い。何処かがおかしくなると、連鎖的におかしくなっていく。

経済的な行き詰まりは、民族間の壁を高くし、人々を排他的行動に走らせてしまうのは、歴史の教えるところである。


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 第90回

西暦2000年問題に見る先送り体質


 「西暦2000年問題」がいよいよ間近に迫ってきた。金融業界を中心に世界中で対応に躍起になっていて、日本でも、金融監督庁が音頭を取り始めた。公表されている状況では、対応が進んでいるということだが、それは、対応すべきことが「分かっている範囲」において進んでいるということであって、問題なのは、気付いていないところである。その結果は、1年4カ月後、すなわち480日後には出るが、金融業界ではそこで失敗は許されない。

    ×  ×  ×

 開発時期が新しいシステムは問題ないと決め込むわけにはいかない。古いシステムと接続するために、途中で桁数をカットしてデータを渡している可能性もある。また、社内のシステムに気を取られて、給与振込みなど社外の一般企業と接続していることを忘れてもらっては困る。その種の接続も日本国内に限らない。いや、当事者がこんなことに気付いていないはずはない。でも、こんなに気になるのはなぜか

    ×  ×  ×

 金融機関や大企業で稼働しているソフトで2000年問題に引っ掛かるソフトは相当あるはずである。実際、ソフトの変更に見積もられているコストは邦銀49行で約350億円という。だが、この対策費は、アメリカのJ.Pモルガン1行と同じというところから、アメリカの格付け会社が、日本の金融機関の対応の姿勢に対して、2000年までに対応を終えないのではないかと警鐘を鳴らし始めた。しかも、98年中に対応を終えようという銀行は1行もないし、大半は99年3月から9月と想定している。アメリカでは98年中に対応を終えるのが原則だというが、これは99年に入れば、実務上、2000年の日付を扱うことが起きてくるからである。

    ×  ×  ×

 銀行の経営が厳しい折りであるから、本当に350億円で出来るのなら結構なことだが、この数字に説得力はない。ましてや99年の3月を期限として取り組んでいる銀行でも、99年3月で終了するという見積もり能力があるのかどうか。直さなければならないシステムと分かっている分に関しては、ある程度の誤差で見積もれるだろうが、問題は、見つかっていないシステムや、気付いていても、どちらが直すかという判断が必要なシステムもある。自分たちは対応したとしても、20%の地方銀行は、9月を目標としている以上、3月の時点で対応出来ていることをどうやって確認するのだろう。このような重要な判断そのものが先送りされている可能性がある。それがこの国の企業の体質であった。そのような体質が、急に改善するとは思えないのである。

    ×  ×  ×

 一方、日本の金融業界は、6カ月後に残っているかどうかも怪しいのである。ゼネコンを始めとして融資先に幾つもの爆弾を抱えている。監督庁の監査もあって次の決算を乗りきれるかという時に、果して本気になって2000年問題に対応できるだろうか、という不安もある。これも、問題を早く解決しないで先送りしてきたツケといえば、あまりにも大きなツケである。そして今までと違って、今日では市場が(格付け会社を番人として)これ以上の先送りを許さなくなっていることに気付かされていても、今となっては、やれることは僅かしかないし、その決断そのものができるかどうか。

    ×  ×  ×

 アメリカでは、本番前に国全体で2000年のテストを計画しているという。事前に決められた時間を2000年と見做して、仮想の1999年の12月31日から2000年1月1日を作ろうというのである。もちろん、そのためには、用意周到な計画は勿論だが、それを手抜かり無く進めていかなければならない。本当の「その日」の出来事は、実験とは関係なく進んでいるのだから。テストの時期も1週間前では意味がない。かと云って余り早いのでは、準備が出来ない組織が残されてしまう。ネットワークの中に、対応できない部分が混じる場合の対処は、本来の日常が動いているだけに難しい。一体、どうやって進めるのだろう。このプロデューサーは一世一代の「舞台」を指揮するのである。少々悔しさが混じるが、仕事柄、物凄い興味がある。というより、ロマンの様なものを感じる。    ◆


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 (第107号分)


「人間というものは、自分を守ってくれなかったり、誤りを質す力もない者に対して、忠誠であることはできない」(マキアヴェリ)

 最近の日本の企業の組織は求心力をなくしているように思えるのは、マキアヴェリのこの言葉が、いつの間にか蒸発してしまっていることが原因かも知れない、一枚の辞令で管理職(マネージャーとは違う?)に就いた人たちの中には、自分のことで汲々としていて、メンバー(部下?)の人生を考える余裕がない。厳しい対応も、優しい対応も、その中には部下の人生を考えた部分が何割か入っていなければならないにも関わらず、それを感じさせない。

 実際に、多くの組織では、きちんとしたスケジュールを作らないで仕事をすることが許されている。私が勧めるような、6ヶ月の仕事を1日も遅らせないことを目指すほどの精度は求めないとしても、誤差を5%以内におさめるぐらいの精度は目指すべきである。それは単に当面の成果という意味ではなく、多くの部下のこれからの人生を考えたとき、それを目指そうとしない仕事の仕方は、間違いなく質されなければならない。そうでなければ、多様化し精鋭化する市場の要請に応えられなくなり、組織の勢いにもよるが、10年後には仕事をなくす可能性が高くなってしまう。今は、適当にその場をやり過ごしていることで楽かも知れないが、いつまでも、そんな状態で許されるわけではないし、それでは、次の役割が勤まらなくなる。

 一方、この問題は何も企業の中だけに限ったことではない。家庭にあっても同じである。自分の間違いを質してくれない親に忠誠であることはありえない。この親は、どこに立って自分の誤りを質そうとしているのか、子供には直感的に分かる。

 更に言えば、「国」のレベルにあっても同じである。この国の国民は“甘やかされ過ぎた”。自分で生きる術を手に入れることなく、不満を垂れることを覚えてしまったが、それを質す指導者が出てこない。職場や家庭の構図と全く同じである。

 政治家も、自分が議員であり続けるために自分を守ってくれた人に忠誠を誓うのは、ある意味では自然なことである。問題は、守ってくれたのが、特定の「長老」か、後援の企業団体か、一般市民かということである。


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