プロであるために

 一般の人から見れば、ソフトウェアの開発に携わっている人はみな、「プロ」だと思っているかもしれませんが、残念ながら決してそうとは言えないようです。単に“自分たちにはできないことをやっている人”というだけかも知れません。

 とは言っても確かに、“凄い”人はいます。「プロ」として誰もが認める人はいます。しかしながら、そのような人は、実際には僅かしか居ません。

 「プロ」の条件として、このホームページの別の項(プロフェッショナルって? )に3つの条件、[約束できること、常に変化させていること、人間的であること]を挙げましたが、必ずしも、これだけで足りるわけではありません。また、これとて、なかなか判定できるものではありません。

 たとえば約束できるといっても、その業務やシステムに慣れているだけかもしれません。5年も同じ領域を担当しておれば、“うまく”できても不思議ではありませんし、逆に、そのように担当を固定してしまっているような組織では、他にできる人がいないだけかもしれません。

   契約社員はプロか?

 最近は、ソフトウェア開発の組織でも、契約社員と言う形が増えているようですが、それでは、契約社員は皆、「プロ」かといういと、必ずしもそうではありません。もちろん、普通の雇用形態のエンジニアと比べれば、「プロ」と言えるひとは多いと思われますが、それでも、長くやってきたことでよく知っているだけということもあります。したがって、単に契約社員というだけではプロとは言えないわけです。

 プロ野球の選手やJリーグの選手には「プロ」としての契約があります。したがって、彼らは皆、形の上では「プロ」なのですが、実態は別ということも言えます。例えば、Jリーグの試合で、代表選手の抜けたチーム同士の試合は面白くありません。スピード感も無いし迫力もない。ボールテクニックも貧弱で、ロングパスのトラップが上手くなく、足元にピタッと落とせない。だから見ていても面白く無いわけです。単に「成熟段階」の差と言うには、お粗末なプレーが目に付きます。

  慣れていることとは別

 このように、単にその業務やシステムに長く関係しているというだけでは「プロ」とは言えないわけです。逆に、初めての分野であっても、短期間で事前に必要な知識を身に付け、顧客の要求を的確に聞きだし、それを分かり易く文書化して、改めて顧客との間で認識のずれが無いことを確認し、そうしてきちんと納期どおりに要求を実現する人もいます。新しい分野のやり方を身に付けた「プロ」なら、余程の分野でないかぎり、こうしてやってのけるわけです。

 その領域に「慣れている」というのは「プロ」としての有利な条件の筈なのですが、実際には「約束」を果せない人も沢山います。つまり、長年その分野を担当しているからといって、「プロ」にはなれないということです。きちんとしたドキュメントも残さないまま何度も手直ししているうちに、一体、どのような流れでプログラムが動いているのかよく分からなくなってしまっていることもあります。こうなると、慣れているのではなく、単に他の人に引き継げないだけということになります。

  セミナーが開ける

 それでは、一体その人が「プロ」であることをどうすれば判断できるのでしょうか。私の判断基準は、その分野のテーマについて社内セミナーが開けること、という基準を使います。長くやってきた人であっても、その担当分野の技術的な部分や、システムとしての説明できなければ、「プロ」とは言い難いわけです。逆に、1年しか経過していない人でも、学習し理解したことを、他の人に分かり易く説明できれば、その人は、その領域において「プロ」として認めてもよいでしょう。

時間は2時間程度ですから、範囲は限られるかもしれませんが、それでも必要なら何回かのシリーズにする方法もあるでしょう。

 このような基準を持ち込む理由は、ソフトウェアの開発組織にあっては、どうしても設計者に注目が集まり、下流工程の人たちは日陰になってしまいます。しかしながら、評価グループの人たちでも、「評価の在り方」とか「新しい評価システムの狙いと効果」などといったテーマで、社内セミナーを開くことはできます。とくに、近年は、テストや評価の分野の研究が活発で、参考にある資料や研究結果が沢山あります。

 ボードの製造を外部に委託する際の、最終的な検図を担当している人なら、「飛躍的な歩留まりを実現する設計方法」といった設計工程にフィードバックするようなテーマも存在するでしょう。もちろん、マネージャーにも適当なテーマがあります。「リスク管理の考え方と実際」「チーム運営の在り方」「ノウハウの伝承の仕方」などのテーマは如何でしょうか。

 設計部門に携わっている人なら、テーマは山ほどあります。「オブジェクト指向」に関連したもの。「TCP/IP」などの通信技術に関連するもの。さらには、それぞれのプロジェクトごとに、「システム設計の狙いと結果」といったものなどもあります。要するに、自分でテーマをもって臨めば、それがセミナーのテーマに繋がるのです。

もちろん、プロセスについても沢山ありますが、残念ながら、殆どの開発組織では、プロセスを専門に扱う人が居ません。この分野は、なかなか片手間でやれる分野ではありません。

  「分かったことは説明できる」

 このようにそれぞれの人に身近なテーマを想定して、セミナーを開くことで、知識を確実にすることができるのと、知識の「共有」が実現します。別の項(「分かる」の問題について )に「分かる」ということの基本的な問題について解説してありますが、要するに「分かった」ことは「書ける」わけです。文章にして表せなければ、分かったことにはならないのです。

 こうして、“本当に(必要なことを)分かったのなら、社内セミナーが開ける”ということになります。もっとも、社内セミナーが開けたからといって、それだけで「プロ」というのは甘いことは分かっています。でも、単に長くその“部分”を担当しているだけで、セミナーも開けないような人よりは、「プロ」に近いということはできますし、なによりも、この先の発展が期待できます。「プロ」にもこの程度の差があってもよいでしょう。とくに“かけだし”であるなら、それは許されるでしょう。

  “正しい”競争の導入

 こうした社内セミナーの成果を評価に結び付けることで、組織の中に「競争」を持ち込むことができます。もちろん、その前に「正しい競争の在り方」というテーマのセミナーが、マネージャーによって実施されていることが望ましいのですが。多くの人は、間違った「競争」の概念を身に付けています。つまり、蹴落とす競争しかしらない。私の言う競争は、それとは全く逆の競争です。

 有名なハイエクの言葉に、「より多くの人々が恩恵を受け、競争を通じる社会制度や組織、体制が生き残る」というのがあります。これは、当時隆盛著しい「ソ連」の崩壊を予言したものとして攻撃を受けて、アメリカに逃れたといういわく付きの言葉です。このあと50年で「ソ連」をはじめ「東側」は崩壊しました。

 ハイエクは、組織のみんなが恩恵を受けるような競争をすること。そしてそれによって社会に貢献すること。この仕組みを取り入れない組織は、生き残ることができないといったのです。

 今日のわが国の行き詰まりの原因は、ハイエクのこの言葉にあるのですが、多くの「学識経験者」と言われる人は、表面に現れた現象に囚われ、その根源に踏み込もうとしていません。彼ら自身、「無競争」の世界に安住している人たちですから、私が考えるようなことは、全て「秩序を乱す」考え方としか受け止められないのです。

 同じことが、企業の中にも言えるわけです。本当の「プロ」の集団は、「プロ」同士で刺激しあうものです。正しい競争をしない「プロ」は排除されるのです。

ところで、あなたの組織には、 

 刺激しあう競争がありますか?
 知識を共有する仕組みがありますか?
 知ることの喜びを分かち合うという考え方がありますか?

これが、そんなに難しいことでしょうか。


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