「エンジニア」と呼ばれる人たちにとって注意しなければならないことは、社会との接点を失うことです。「エンジニア」と言う言葉は、「en」「gene」「er」という3つの言葉が合成されていて、人や世の中に働き掛ける人、則ち「社会に役に立つような働きをする人」と言う意味を持っています。にも関わらず「技術」という世界の中に閉じこもってしまって、世の中から遊離してしまっては、何の役にも立ちません。
また、「技術」というのは、より多くの人に恩恵をもたらすための「ツール」であり、これによって、今までは高価すぎて手に入らなかったものが、安く手に入るようになったり、両足を失った人にも、普通の人と殆ど同じように歩いたり、走ったりすることが出来るようになったり、目の見えない人に、自由に外を歩けるようになったりするのです。
したがって「エンジニア」は、世の中の動きや、技術の動向を、あるいは社会的な要請を敏感に感じ取るセンスが必要です。
「君主論」の著者で有名なマキアベリの言葉に
「人の運の善し悪しは、時代に合わせて行動できるか否かにかかっている」
というのがあります。別に時代に迎合するというのではありません。人の幸福は、他人や社会に対してどれだけ貢献できたかということに大きく関わっています。「仕事」も、突き詰めれば、人や社会に如何に貢献するかということに尽きるでしょう。実際、利益はその貢献の結果でありバロメータでもあります。
そうであるなら、時代は何を求めているのか、今出来ることは何か、そして5年後に出来ることは何か、といったことをしっかり見据えなければなりません。
そして、もう一つ大事なことは、わが国も、ようやく「プロ」の時代に入ると言うことも、しっかり意識しておく必要があります。この国は、これまで「アマチュア」の国でした。「プロ」というのは一部の「職業人」に対する呼び方に過ぎませんでした。「サラリーマン」という言葉は、アマチュアの代名詞でもあったのですが、もう、そのような認識では通用しなくなりました。
全ての職業に「プロ」であることが求められるのです。そこにある分類は、「プロ」か「アマチュア」かであり、「アマチュア」とは、その行為に対して対価を求めない人、すなわちボランティアに限定されるでしょう。
アウトソーシングや、労働者の市場が形成されるようになると、サラリーマンも、経理のプロであったり、人事のプロであったり、品質管理のプロであったり、保険業務のプロであったりするようになるでしょう。“只のサラリーマン”は成立しなくなるはずです。もちろん、全ての「エンジニア」と呼ばれる人たちは、「プロ」でなければ成立しなくなるでしょう。
いま、何気なくソフトウェアの開発に携わっている皆さんも、早急に「プロ」としての自覚を持って行動する必要があります。ソフトウェア開発において、レベルの高い生産性や品質を実現するには、もはや「アマチュア」の参加する余地は在りません。それは覚悟しておいて下さい。
そこに人がいるからとか、何もさせないわけには行かないから、という理由で、仕事に参加させてもらえる時代では無くなりつつあるということです。厄介なことに、この傾向は、日本よりもアジアの国々で先に広がってしまう可能性が高いのです。マレーシア、シンガポール、タイ、インドなどの国では、今後、数年の内に、プロの「エンジニア」は最適の職場を求めて、国境を越えて移動するようになるでしょう。
このような時代になりつつあることを、適確にキャッチしておかなければなりません。そのためには、パソコンやインターネットの雑誌だけでなく、社会や経済の動きの分かる雑誌も、目を通しておくことです。
そうでなければ、気付いたときには時代の求めるところとはずれてしまっている、と言うことになりかなません。