第2条 解説

 この項は、重職心得箇条の中でも、最も重要な項の一つです。

 重職の重要な役目に「決裁」があります。最近は企業の中でも権限の委譲が進んでいるようですので、重職が決裁しなければならない案件の範囲が絞られているものと思われますが、それでも、重要な案件は重職が決裁することになります。つまり「決める」のです。

 そのとき、賛成側、反対側双方の関係者の考えや意見を十分に、かつ公平に聞きだすことが必要になります。特に重職がこの案件に関わっている場合、公平に決裁することが重要なことは言うまでもありません。もし、そこで最初から片方に肩入れする姿勢が見えれば、誰もものを言わなくなります。

 もう一つのポイントは、有司の人の考えや案が完全なものでなくても、間違っていないと判断されれば、その人の案を採用するということです。物足りなくても、度が過ぎたものでなければ、一旦それを採用し、不足は後で調整すればいいのです。方向さえ合っていれば、後で追加の対処はできるものです(正し、追加策では間に合わないこともありますが・・・)。大事なことは有司の人たちの「気乗り」です。

 残念ながら、現実にはこのような場面で、“我が社には人がいない!”と、人材の不足を嘆く重職をしばしば見受けますが、むしろ、重職の姿勢そのものが「了簡」を出す空気を塞いでいることがあります。そのような組織では、まともな「了簡」でも、重職の考えを越えるものや、目を見張るものでなければコキ下ろされるのオチですから、最初から口を塞いでしまうのです。そしてそのうちに、彼らは本当に役に立たなくなってしまいます。

 正しい判断や行動には「幅」があります。いつも95点以上でなければダメという訳ではありません。30点では前に進まないかも知れませんが、60点ぐらいでも、続けて手を打てば何とかなるものです。それを95点に達しないからといって、折角の「了簡」を切り捨てていては、結局何も進まないことになります。ホームランばかり期待されては、そのうち誰もバッターボックスに立とうとしなくなります。

 また、このような組織では、一度の失敗が尾を引いてしまうことも考えられます。もちろん、失敗の仕方にも問題はありますが、取り組んだ方向が正しい方向であれば、次に成功する確率は確実に高くなります。だからこそ「失敗は成功の母」というのです。逆に、最初から上手く事が運んだ場合、本当にそのような結果をもたらすべく「力」があったのかと言う問題が残ります。その場合、次に失敗する可能性が残されるのです。

 むしろ、重職の役目は、その人が失敗するにしても、再挑戦の芽を摘まないためにも、深い傷を負わないように配慮してあげることです。

 今日の我が国では、残念ながら「減点主義」が行き渡っています。何時からか分かりませんが、或る文献では昭和の30年代に、すでに職場に広まっていた状況が説明されています。

 でも、一斎は、部下のちょっとした失敗は、次の成功で帳消しにすればいいと言っているのです。200年前に、一斎はまさに「敗者復活」を勧めているのです。そうしなければ人材は居なくなると言っているのです。「敗者復活」はアメリカの専売ではなかったのです。それは洋の東西に関係なく「道理」なのです。

 さらに、この項で重要な点は、「嫌いな人を能く用いる」ということです。言い換えれば「取り巻き」を厳しく糾弾しています。組織の中での役割が重くなるほど、自分を持ち上げてくれる人を回りに置きたがります。確かに役が重くなれば失敗に対する不安が多くなります。しっかりした見識を持たなければ、この不安が「応援団」を回りに集めてしまうのです。自分の中に「自分流儀の者」を求める気持ちがあるから、そのような人が回りに集まってしまうのであり、耳障りで不安を掻き立てる人を遠ざけてしまうのです。

 「性に合わない」という言葉は、相手を説得する「力」を持たないことの証です。だから自分流義の者を集めてしまう。そうすれば了簡が食い違うこともないし、説得する必要もない。

 全て、物ごとには2面、いや多面性を持っています。ある立場からは正しいと思われることも、別の観点から見れば、必ずしも正しいとは言えないものです。もちろん、事を進める場合は、どちらかの立場で進めるしかないのですが、その時、両面を正しく認識したうえで判断(=決裁)しなければなりません。両面を認識したうえで判断する際に、その人の「見識」が問われるのです。そして、相手を説得し決定する際には「胆識」が問われるのです。しかしながら、自分流義の者ばかり集めていては、「見識」も「胆識」も磨かれません。その必要がないからです。

 嫌いな人、というのは、多くの場合、自分の考えの盲点を突いてくる人です。全く違った考え方をしたり、自分と違う立場でものを考えるから、痛いところを突いてくるのです。多くの場合、それもまた真実の一面を持っているものです。このような人を説得できなければ、遠ざけるしかなくなります。

 その結果、意見が異なるということが、すなわち追放と言う結果になるのです。日本の政党や、企業の役員会などにその事例を探し出すのは容易なことです。そのような組織は変化に弱いことは言うまでもありません。

 嫌いな人を遠ざけようとするのは、その背後に、人を従わせようとする姿勢があるからです。嫌いな人を従わせようとするから失敗する。勿論、こちらが嫌えば、相手もこちらを嫌います。そのことは別としても、彼も仕事の目的は同じはずで、違うのはそこに至るプロセスであり、順序なのです。

 ありがたいことに、彼はこちらの考えの欠点を鋭く突いてきます。頼まなくてもやってくれます。しかも厳しく。取り巻きの連中には、そこまで期待できません。いや、遠慮が入る以上、最初から期待できません。人は過ちを犯すものであることを考えると、こちらの欠陥を突いてくれる人を遠ざければ、その分、失敗の確率が高くなるのです。

 昔の優れた経営者は、傍にうるさく言う「諫臣」を置いたものです。それは「一国、争臣なくんば危うし」ということを知っていたからです。

 才能と人格は別のものです。一般の事業において人格者ばかり集める必要はないし、またそれは叶わないことです。人を使うのではなく、その人の能力を使うと心掛けて、嫌いな人との均衡点を見出すことです。これからの時代は、いろんな人種の人たちが一緒になって仕事をする時代です。彼らは仕事において共通点はあっても、そのほかの部分は全く違うこともありえます。これらから重職は、人格と才能を見極め、少なくともその才能を活かすことができなければ勤まらないでしょう。

 亡くなった作家の司馬遼太郎に言わせると、“人は40過ぎると、他人さまを平気で嫌いになってしまう”ものらしい。だから注意しないと、不必要に嫌いな人を作ってしまいます。

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第3条 解説

 会社の伝統や社風も、その由来を考えれば、成立には其れなりの理由があるものです。それだけに軽々に弄り回すことは控えなければなりませんが、かといって、何でもかんでも守株するというのは正しくありません。

 一斎はここで、「家法」と「仕来り・仕癖」に分けて考えています。「家法」というのは憲法みたいなもので、軽々には変えるべきものでは有りません。それでも、時代の変化と共に企業の存在の理念が変わる時には、この「家法」も手直しすることになります。

 それに対して、「仕来り・仕癖」というのは、作業の手順や、作業方針、あるいは今風で言えば、“ワークフロー”みたいなもので、これらの多くは時代やその時の事情を背景にして成り立っているものです。

 一斎は「時に従て変易」させよというのですが、この文章が200年前に書かれたことを思うと、その見識の深さに驚かされます。200年後の今日の社会を予見した筈はなく、おそらく「易」の考えに基づくものと思われます。易の立場からは、この世界は「無常(常ならず)」と説きます。すなわち、一時も一所に止まることはないと言う考え方です。それでいて、その中心に不変のものがあって、その回りを動いているという考え方です。

 動かざるものと動くべきものを見分けることが重要です。しかしながら多くの人は、この「無常」が見えません。昨日の自分と今日の自分の違いが見えません。だが、母親には、街に出て3ヶ月後に実家に帰ってきた息子の「変化」が見えます。その変化は、息子が実家に帰る1日前に起きたわけでは有りません。

 ソフトウェアの開発手法にしても、「法」に相当するものと、「仕来り・仕癖」に相当するものが有り、それを正しく識別し、守るべきものと変易させるべきものを区別しなければなりません。「時世に連れて動すべきを動かさざれば」時代の要請と食い違ってしまいます。1年前までその方法で対応できていたが、今では、コストも期間も品質も時代の要請に合わなくなってしまったということになります。「大勢立たぬも」となるのです。

 ここで、「守株」という珍しい言葉が使われています。これは的外れなものを必死になって守ることの愚かさを言いますが、それには名高い故事があるようですので、文献からその部分を紹介します。

 ある愚かな百姓が、どこからか追われてきた兎が勢い込んで繁みから飛び出してきたとたん、切株にぶつかって死んだ。労せずして兎を一匹拾ったのですが、それから、この百姓はいつも同じところで、また兎が飛び出して切株にぶつかって死ぬのを待っていたと言う故事から、愚かな習慣に囚われることを“株を守る”、すなわち「守株」と言います。

 まことに愚かな話しです。でも、実際にこれに似たことをやっている可能性があるのです。“これまで、このようにやってきた”というだけで、「法」と「仕来り・仕癖」の違いに気付かなければ、自分たちの守っているのが「切株」であることに気付きません。前任者から重職を引き継いだとき、今までやってきたことをそのまま引き継げば済むという時代ではなくなっています。規制の撤廃や資本のグローバル化から、新規参入が容易になり、その分、市場の要請の変化が早くなっているのです。

 この「守株」は、決して愚かな人が犯すとは限りません。例えば“成功体験が災いする”と言いますが、それこそ「守株」そのものです。残念ながら、人は誰でも、この「守株」に陥る可能性(危険性)を持っているのです。そこにもう一匹“どじょう”がいるのではないかと思う気持ちが、そもそも「守株」の一種なのです。

 21世紀を目前にして、時代を読み、大勢を察し、その方向に舵を切らなければ事業は成り立たないでしょう。これまで何十年、事業をやってきたことが、必ずしもそれだけでは明日も事業を続けられる保証にはなりません。その証拠に、今から半年で、この国の金融関係の企業の多くが、事業の継続を断念することになるものと思われます。それは、重職が自ら大勢を見ずに、所轄の役人に身を預けてきた結果でも有ります。

 重職が大勢を見誤っては、一体誰が大勢を見るというのでしょうか。

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第4条 解説

 これは“仕来り”や“習わし”に関する2つ目の項です。それが「法」であろうと「仕来り・仕癖」であろうと、事を処するには、先ずは「自案」すなわち、自分の案を考えることが必要です。

 よく“先例がない”という一言で、新しい取り組みが潰されることがあります。少し冷静に考えれば直に分かることですが、“先例がない”という姿勢で物事を処理していけば、100年経っても何も変わらないことになります。しかしながら、そうは言っても“今までの先例”はあるわけで、それは“先例がない”状態にあって、“先例”となったものです。つまり、その時だけ“先例”を破った結果がそこにあるのです。一旦先例が出来た後は、“新しい先例”を作らない、と言うのでは何も発展しないことは小学生でも分かるでしょう。

 此の国の特徴かも知れませんが、先人の立てた例格を、後の人が塗り替えることを避ける例をよく見掛けます。特に役所の仕事に多く見られます。当の役人もそれが決して正しくないと分かって(感じて)いても、変える勇気を見せません。それどころか、その点を指摘するとますます拘ってきます。時には、時代背景が変わっていても、あるいは新しい事実が判明していても、“今更”という思いが、正しい行動を押さえ込んでしまいます。

 非加熱の血液製剤の回収が遅れたのも、事故に対する動燃の関係者の対応の失態も、“今、どうすべきか”ではなく、“今までそうしてきた”ことが優先して行動して来たことの証です。

 一斎は、先例を参考にするのは構わないが、その時は、自案を先に考え、その上で先例を考察すべきであると言っているのです。自案を考える前に、先例を探してはならない、というのです。古い先例でも、本当に問題ないのならそのままでもよいのですが、「時宜」すなわち時代の変化や、先例を成立させていた状況が変わったのなら、先例を守ることに拘泥してはならないと言うのです。

 「先例から入る」というのは、或る意味では、考える行為を放棄していることにもなります。重要な案件で、会議などを開いて関係者の考えを集める場合にも、「自案」を内に持って臨まなければ、その場で出される意見に振り回され、それらの意見に潜む欠陥が見えず、間違った判断をしてしまう危険があります。

 その結果、後になって「会議の場で決めた」とか「皆の意見で決めた」という“言い訳”を垂れることになるのです。会議の場に出されたのは「意見」や「考え」であって、決めたのはその重職のはずです。でも、「自案」を持って臨む習慣がなければ、それが思ったような結果に繋がらなかったとき、どうしても、このような言動になってしまい、信頼を失っていくのです。それは、重職の条件である「重厚」かつ「威厳」ある行動に反することは言うまでもありません。

 それにしても、「先づ例格より入るは、当今役人の通病なり」と看破されているのですが、「役人」の所を「競争原理の働かない世界の人たち」と読み替えて下さい。競争原理が働かず、終身雇用と年功的昇級が行き渡り、外部からのチェックも機能していなければ、新しいことをやって失敗することを避けようという姿勢が何よりも優先するため、殆ど例外なくこのような行動になるはずです。

 もっとも、終身雇用も、「能力」があって、何時までも有用である状況での終身雇用は、むしろ進めるべきものですが、「能力」の裏付けのない終身雇用は、今日では、既にその存続の理由はありません

 言うまでもなく、21世紀のビジネスの世界では、「先づ例格より入る」やり方は命取りになるでしょう。コンピュータの発達と普及がもたらしたものは、情報伝播のスピードと、その入手手段であり、その結果「判断のスピード」が、事業の決め手になってきました。

 特に「稟議制度」になれている重職は、21世紀が求める「判断のスピード」に対応できなくなる危険があります。「稟議制度」を「法」と解釈するか「仕来り」と解釈するかで、大きく道を分かつことになるでしょう。

 「稟議」という制度があっても構いませんが、それ以上に、重職自らが、常日頃から時代を見据えて、いろんなケースを自ら考え、幾つもの「自案」を持っていなければ通用しないでしょう。

 21世紀は、ビジネスの世界で重職に成る方が、政事の世界で大臣に成るよりも難しいかも知れません。安直に年功的発想で、“次は俺の番だ”などという考えで重職の席を欲しがっては、折角のこれまでの人生を蒸発させてしまうことにも成りかねません。

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第5条 解説

 「応機」―これもまたたいへん重要な言葉です。「機」はすなわち機会でありタイミングです。また、変化点でもあります。その「機」に応じるということは、機会を逃さないと言う意味です。“好機到来”―まさに“今だ!”というわけです。

 「機」は突然顕れるものでは有りません。「後の機は前に見ゆるもの也」とは、後からやってくる「機」が、事前に見えるというのです。則ち「兆候」です。もちろん、誰の目にも事前に見えるわけではありません。普段から「機」を見ようとしていないかぎり見えないかも知れません。

 コンビニやファーストフードも、その最初に「機」を掴んだ人がいるわけです。時代の変化、習慣の変化、社会事情の変化を見ていることで、次にどのような変化が起きるか分かるはずです。自動車の普及が郊外の大規模店舗の展開に繋がった。経済が豊になり、物が溢れるようになったことで、選択の世代が生まれた。

 これらは、その「機」が過ぎて後になってみれば、誰の目にも分かることですが、「変化点」が来る前にどれだけ予知することが出来るかです。

  「人の運の善し悪しは、時代に合わせて行動できるか否かにかかっている」

 これはマキアヴェリの言葉ですが、一斎が言うのはこれと全く同じです。「機」に応じ、時代にあわせて行動していかないと、後になって難儀するというのです。

 個人的な「運、不運」であればその人だけの問題かも知れませんが、重職という立場で、職務上「機」を逸し、そのために難渋するのでは、単に「運、不運」で済ますことは出来ません。

 日頃から「機の動きを察する」こと。それが重職の役目の筈です。

 こに関して、一斎は次のような対句を残しています。

  赴所不期天一定  [期せざる所に赴(おもむ)いて、天一(いつ)に定まる]

  動于无妄物皆然  [无妄(むぼう)に動く、物皆しかり]

 これは、世界はこうなるだろうと予想しているところへは必ずしも動いていかない。何かの出来事をきっかけに思わぬ方向に展開し、そこで定まる。何事も偶然の出来事で動く、という意味です。无妄(むもう、むぼう)というのは、易(64卦)の一つで、偽りのないことですが、これは「天」の側から見てのことであって、我々にとっては不慮の災難や出来事を意味します。我々にとっては偶然でも、天の側から見れば必然であり、当然なのです。それを无妄と言います。

 第1次世界大戦はセルビアの青年の一発の銃弾から始まったし、沖縄の少女暴行事件は思わぬ方向に展開しました。この種の事件はこれまで何度もあったのに、今回は違った。度重なる動燃のトラブルも、この国のエネルギー政策を根底から揺るがす方向に行くかも知れません。また産業の発展がもたらす大気汚染や地球環境の破壊も、期せざるところに赴いて一に定まる可能性がありますし、クローン生成技術はその本来の目的をそれて无妄に動くでしょう。

 「機」は、“この中”にあるのです。だからこそ、ニュースを追跡するのです。

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第6条 解説

 物事の判断や決定に際し、公平を失うのは、重職自らがその案件に関わっているときに起きやすいものです。しかしながら全く関わっていないような案件は、実は殆どなく、そのために、常に判断・決定が公平であるかどうかが問われることになります。

 問題の渦の中に入ってしまえば、何処が問題の中心なのか、何処が端っこなのか見えなくなるので、そのような時は、一旦外に出て、別の目で事態を監察し、全体を見たうえで適切な判断、行動をつることが肝要といっているのです。

 必ずしも「中を取る」と言うことにこだわらなくてもよいでしょう。

 舞台の上にいる人の行動は、客席から丸見えなのと同じように、重職の行動も丸見えなのです。その時、公平を逸した判断、行動は人々の信頼を失うことになります。威厳を失えば権力に頼ることになり、ますます人心を失うことになります。

 そのため、重職は、いつも公平を失わないための工夫を持っていなければなりません。

 この箇条は、後継者を選ぶときなどに例を見ることがあります。特に、重職自身がその渦中にある場合など、自分の居る位置を見失い、公平を欠いて失敗する危険があります。

 かって住友の総理事であった伊庭貞剛は「人の仕事のうちで一番大切なことは後継者を得ることと、後継者に仕事を引き継がしむる時期を選ぶことである」と言っています。惣体を見る工夫がなければ失敗しそうです。

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第7条 解説

 最近では「己の欲せざところを人に施すなかれ」という言葉を聞いたこともない人も居るかも知れませんが、やはり人のいやがるところを無理押しすべきではありません。そういことは冷静になってみれば誰でも分かることなのに、「重職」という衣を身に付けると、苛察を威厳と勘違いしてしまう。

 「苛察」とは辞書では厳しく調べることとなっていますが、どちらかというと、余計なところに立ち入ってあれこれ探し回ると言う意味に使われます。これを「威厳」と勘違いしてしまうのは「少量」の病気だというのです。少量というのは「器量」が少ないことを言います。つまり、人間としての器量に欠けることを言います。

 また、そういう人は、大局を見て公正な判断で動くのではなく、自分の「好み」で判断しがちなものですが、なぜそう言うことになるかといえば、それは「見識」の問題です。「器量」という言葉は、まだまだ私には重すぎますので、ここは「見識」という言葉に置換えさせてもらいます。

 知識が幾らあっても判断は出来ません。判断、決断ができるには、「有るべき姿」が必要です。インターネットの時代にあって、時代の動きや兆候などは、その気になれば幾らでも手に入ります。しかしながらそれらは「知識」にすぎず、それだけでは、判断、決断は出来ません。「知識」が有るべき姿という接着剤で繋がることによって、採るべき行動や判断が見えてきます。それが「見識」です

 時代の大勢を見極め、「機」を事前に察知し、その上で、「有るべき姿」をイメージし、必要な判断を伴って、それに向かって行動を起こすというプロセスには、重職個人の「好き嫌い」の入る余地は有りません。

 「威厳」は日々の一つひとつの見識ある言動から作られるものです。丁度「パッチワーク」のように一つづつ縫い込まれていくものです。ところが、重職の地位にあっても、この「見識」を伴わなければ、必然的に威厳を見せるために苛察な行動を採ってしまいます。そして、それは全く逆効果であることに気付くべきなのです。

 『宋名臣言行録』に、「人ヲ挙グルニハ、須(すべから)ク退ヲ好ム者ヲ挙グルベシ」というのがあります。重職というのは、この先の時代の変化を考えると、簡単に勤まるものではありません。それなのに人を押しのけてでも、重職の地位を得たいと思う人は、奔競(ほんきょう)の輩の可能性があります。

 有名な話しに、かって経団連会長であった石坂泰三氏が、当時自民党の政調会長をしていた中曽根氏に奔競の本心を見透かれ、鋭くしてきされたことがあったという。その所為もあってか、新聞のインタビューで自分の欠点を尋ねられたとき、“ライトを浴びていたいという気持ちが強すぎることでしょうか”と応じたという。

 その石坂翁も今はいない。先日の特措法騒ぎの中曽根氏の動きがちょっと気になった。

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