庵主の日記2

2003年5月5日 塞がった日本の原子力政策

 京都大学の研究用原子炉が、2006年3月で運転を休止するという。京大では燃料のウランを米国から購入し、使用済みの燃料も米国が回収してきたが、2006年6月以降は回収しないという通告があったようだ。どうやら、米国の日本に対する政策の変更が起きていることを暗示させる。
 日本では、青森県の六ケ所村で再処理工場が建設中だが、検査の仮定で水漏れ事故が相次いでいる。新聞の報道によると、建設途中のずさんな工事も発覚しており、600を越える箇所が再点検の対象となっているという。どやら、この種の施設を建設する能力のない業者が建設に関わった可能性がある。このような状況で、使用済み核燃料の処理が早急に軌道に乗るのは困難な状態にあり、京大としても原子炉を停止するしかないと判断したようだ。

 日本での研究目的の原子炉は、東大や京大など5基あるらしい。その中で立教大は既に解体を始めているというので、京大が運転を停止すると、3基に減ってしまう。他の原子炉も、事情は同じと思われるので、早晩、日本での研究用原子炉は運営できなくなる可能性も有る。
 政府は、シュラウドのひび割れの対応方法を決めずに長年放置し続けてきた結果、現地住民の信用を失った。報道では、東京電力の責任のように扱われているが、私は、「原子力安全・保安院」が放置してきたと見ている。その結果として、どう見ても、原子力発電所の新規の着工は困難である。そうなると、原子炉の寿命が尽きたところで止めていくしかない。この場合、単にエネルギーの確保という問題が発生するだけでなく、解体処理の費用負担という新たな問題を抱え込む。新規の建造費よりも高くつく可能性もある。この現実から目を反らそうとも、いずれそうなる。

 原子力発電所の是非の議論はここでは避けるとしても、研究用原子炉が止まれば、若い研究者を育成できなくなる。そうなれば、日本の原子力政策そのものが立ち行かなくなる。当然、5年とか10年という時間の中で、エネルギーの確保の方法に道筋をつけなければ、景気の回復どころではなくなる。原子力を止めるのであれば、その後始末の財源の確保と、代替エネルギーの開発の方向性を、早く打ち出す必要が有る。

 今回の米国の回収中止の通告は、米国にとって日本の位置づけが小さくなっていることを感じさせる。米国として日本を支える意味がなくなっているのだろう。10年以上の時間を費やしながら、自国の経済を回復させることのできない国よりも、隣の広大な市場を持つ国の方に興味が移ったとしても不思議ではない。